メガネとの20年

 先日某視力回復出術を受け、ゴールデンウィークを利用して安静療養中。新聞やパソコンの明るい画面を見ようものならまぶしくて眼を開けていられない状態になり、保護用のコンタクトレンズが乾くと異物感にも襲われるという不如意なことこの上ない状態がまだ続いている。今の自分の生活は極端に眼からの情報に依存したものであることを改めて実感するほどに、やることがない。休日はいつも寝て過ごしているが、それでも強いられて眠ってばかりなのは不健康この上ない気がする。仕方がないので麻酔用目薬を注しながら、我慢できずにこうして何か書いてみたり。
 僕の視力が落ち始めたのは小学校6年生頃のことで、眼鏡デビューしたのは中学1年生のときだ。小学校の頃から既に眼を細めないと黒板が見えないようになっていて、こっそり眼を細めていたのだが、それを先生に注意されてひどく恥ずかしい思いをした記憶がある。当然ながら、スクールカーストにおいて眼鏡君は落伍者であるので、臆病な自分は何かの悪徳に染まっていくかのような後ろめたさを覚えないわけにはいかなかった。
 視力の低下は成長期と結びついたものなので、いくら必死に遠くを見ようが、ファミコン時間を減らそうが、寝転がってマンガを読むのを止めようが、強まる一方の後ろめたさとは裏腹に視力は容赦なく下がっていき、眼鏡デビューする頃には既にかなり厚めの眼鏡をかけないといけなくなっていた。
 中学校では1年生の最初のクラスの自己紹介のときに眼鏡をかけて挨拶したが、このときの緊張は今でもよく覚えている。ていうか、あの時は12歳だったのか、自分・・・。中学校は半分くらいが別の小学校の出身だったが、それでも僕が眼鏡をかけて登壇したときにはちょっと驚いた人は多かったような気がする。もともと小学生の頃からうぶな優等生キャラになっていたが、これによりその路線は逃れようのないものになってしまった。1つささやかな麗しい思い出となっているのが、その自己紹介の時間に、僕だけでなく、5年生の頃からずっと好きだった女の子も恥ずかしそうに眼鏡デビューしたことだ。とても外向的で頭がよく、女子のリーダー的な女の子なのだが、僕が眼鏡デビューしたことにより自分も勇気付けられたらしい(あまりに都合のいい話なので僕の妄想かもしれない)。その子にはふざけ半分でみんなの前で告白され、恥ずかしくてすぐさまはねつけてしまったことがあるなど、僕の小・中学生時の思い出の中心的な登場人物なのだが、中でもこの自己紹介のときのことはよき思い出として大切にしておきたいところだ。
 視力の低下はその後も止まらず、やがてコンタクトレンズなしでは部活もままならなくなった。小学生の頃からヘディングや接触プレイが苦手なへたれだったが、視力低下によりいよいよヘディングに支障が出始めた。夕方になるとロングパスに反応できなくなり、何がなんだか分からないまま走るものだから、支えがなく、ふわふわした感じになった。見えていないせいで見当違いの動きをして怒られたり、味方を失望させたりするのはとても情けなく、絶望的な気分になった(サボるとか辞めるとかいうことは思い浮かびもしないうぶなお年頃だ)。中学時代のサッカーの思い出は薄暗いグランドで焦燥感やらなにやらに追い立てられていた事と結びついているような気がする。コンタクトデビューしたのは確か高校1年くらいの頃。もちろん見えるようになったことは素晴らしかったけど、それでもヘディングや接触プレイによって落としてしまうのが怖くて、結局自分の弱点を克服することはできなかった。代わりにスルーパスや意表をつくようなノールックパスで相手を翻弄する快楽に目覚めた。コンタクトには当時は使い捨てなどはなく、洗うのが面倒で、眼が乾きやすい体質なので眼への負担もけっこうあった。コンタクトレンズなんてしゃれたものをつけているくせに大してうまくないことが屈辱だった。大学に入ってからはサッカーも月に1回としかやらなくなったけど、それでもごつい眼鏡姿を人目に晒すのが厭でコンタクトはよく使っていた。
 僕がコンタクトに浮気をしていたのは23〜24の頃くらいまでだったと思う。めんどくさがってまた眼鏡に戻っていったのは、文学に興味をもってずぶずぶとはまっていったことが大きい。読むものはいくらでもあったから、1日8時間以上つけていると目が乾いて充血してくるようなコンタクトレンズは邪魔だったし、本はこちらが見るものであって、本を読んでいる自分が本から見られているわけではない。人目を気にする必要がない。高校生まで優等生キャラだった自分にとっては、人目を気にする必要がないということは大変居心地のいいことだった。僕は見られる主体ではなく、見る主体なったわけだ。この辺に後にオタクの魔道に堕ちていく萌芽を見ることができる。
 あとは、これは挿話的なものかもしれないが、しばらくロシアで暮らしたことも関係がある。あちらでは別にごつい眼鏡をかけていても問題はない。というかそれどころではない。まず「日本人学生」というキャラが先に来るので、自分の見た目とか優等生キャラとか、そういう些細な問題はいったんキャンセルすることができた。そんなことよりも、自分がいかにロシア文学にのめりこんでいるのかをきれいなロシア語で示せたほうが、ロシア人にはずっと喜ばれた。あと、ロシアでは当時はまだあまりコンタクトレンズは普及しておらず、それどころか薄型レンズすらもあまりなく、ごつい眼鏡をかけながらも堂々として気持ちのいいロシア人はたくさんいた。
 その後も眼鏡は決して「顔の一部」などというのんきなものとはならず、みっともない恥部であり続けたが、それでも腹を決めてしまえば、時としては世界から自分を守るための「鎧」だと感じられることもあった。これは何かの小説で読んだはずだけど、ずいぶんと気が楽になる考え方だった。いい歳して中二病丸出しだが、眼鏡という鎧をつけている限り、その奥にいる裸の自分は守られるのだった。特に仕事の営業などで、疲れて無表情になるときやだめな若者キャラで笑いを取る必要があるときなどは眼鏡が助けとなった。
 かくして眼鏡との20年は流れた。世間には眼鏡男子などという爽やかな世界もあるようだが、ごつい眼鏡に青春を振り回された僕にとっては、眼鏡とは業のようなものだった。一生眼鏡と無縁の人だってたくさんいるのに、何でこうもめんどくさいことに気を使わねばならなかったのか。周りに眼鏡が増えるのを見ながら軽い同情とともに後ろめたい気持ちを覚えたものだ。エロゲーにおける「眼鏡っ娘」という属性にしても、あまりリアルにごつい眼鏡ではなくて、ファッション的なデザインの一部のようになっていて、その即物性のなさに不満を感じたものだ(間宮卓司君の近視との関係はちょっとよかった)。
 今では近視は多少お金を出せば治る病気のような、気軽なものになってしまった。使い捨てのコンタクトレンズだってつくるのも使うのも手軽になった。ツヴェターエワのように近視を文学的に昇華することができるのならともかく、こんな呪いじみた感慨は過去のものになっていくのはよいことだろう。僕もこのまま術後の経過が順調に進めば、20年来の異物とは、老眼鏡にお世話になるだろう10〜15年先までの間しばしのお別れになる。朝、目を開けると、眼鏡をかけずともいきなり世界と向き合わねばならなくなる(毎朝初めに向き合うのは高島ざくろタペストリだが)。眼鏡を理由に遠ざかっていた運動や水泳もできるようになる。10年近くコンタクトから離れて屈折率の強い眼鏡をかけていたので忘れていたが、視界はこんなにも広く、事物はこんなにも大きなものだったのだ。度の強いコンタクトのユーザーなら分かるだろうが、久々の眼鏡なしの世界は、ウィンドウモードからフルスクリーンモードに切り替わったように見える。こうして僕も、これからはフルスクリーンの世界に没入していくことになるのだろうか。というオチがついたところで、麻酔が切れてきたので寝るか。