瞬旭のティルヒア (55)

 dawnをロシア語にするとザリャーで、夜明けの意味の他に黄昏の意味もあって、金色に輝く空では終わりの予感と始まりの予感は混ざり合っている。スチパンシリーズの黄昏を感じると同時に、幕末の時代の夜明けの雰囲気も感じた作品だった。

 黄雷のガクトゥーンはなんか暗さがなさそうなので見送り、それ以来、スチームパンクシリーズから遠ざかっていた。大機関ボックスを買ってサントラは繰り返し聞いたけど、フルボイスになったゲームたちの方はまだやり直さないまま現在に至っている。そうこうするうちにシリーズもいろんな事情で止まってしまったようだった。ティルヒアについては、同人誌第1話だけコミケで買って読んで、ヒロインのキャラデザがいいなと思ったけど、断片なので評価もできないまま忘れてしまっていた。そうしたらいつの間にか続きも出て、ゲーム化されていたのを見つけて、先日、気まぐれに買ってみたのだった。久々に聴いたかわしまりのさんの声がじんわりと体に沁みわたった。
 インガノックからソナーニルに至る2007~10年のスチームパンクシリーズは何だったのだろうか。特にシャルノスとヴァルーシアの雰囲気は最高で、エロゲーでかような世紀末文学の香りに満ちた作品に出会えた奇跡に驚くことしきりだった。シリーズとして維持できなかったとしても、そのことには今でも感謝するしかない。
 本作『瞬旭のティルヒア』の出来が悪いのは別の話。シナリオなどはある程度以前のスタッフが関わっているらしいけど、それだけじゃだめなんだろうな。エロゲーでやってもさっぱり見栄えのしない話になっていて、設定こそはシリーズのものを使っているけど、何もかもが行き届いていなかった。テンプレ的なキャラクターのテンプレ的なやり取りを延々と見せられても。チャンバラアクションをやって読めるのはFateの人くらいだと改めて思った。絵とテキストと音声の美的な組み合わせが絶望的にかみ合っていなかったので、なんか頑張っているらしいシーンも安っぽく見えてしまった(フルスクリーンにすると縦横比が崩れるのでウインドウモードでやらざるを得なかったことも影響した)。不満はいくらでもあるが、今更そんなこと書いても仕方ないので、少しはいいところも書いておこう。
 個人的な印象だが、幕末明治の頃のロマンというのは若さにある。人が若いし国も若い。人が少なくて空気が爽やかできれいで涼しい。もちろん、当時の日本は長い歴史を持つそれなりに古い国であり、今の日本より古さが感じられるといってもいいくらいなのだろうけど、『吾輩は猫である』とか読んでも(ゴールデンカムイでもいいが)、どうしようもない涼しさを感じてしまうのだ。ヒロインの名前はりんだが、そこにも涼しさと凛とした美しさがある。いろいろと不満は書いたが、この時代のひんやりした感じは時おり感じることができた。りんがこの時代のきれいな光や空気(基本的に煤で汚れているらしいが)を楽しんでいる場面の絵に、この作品のいいところが結晶化されている。これとかこれとか、特に時代の何かが描かれているわけではなくても空気が伝わるのは、りんと一緒に描かれており、りんの目を通してみているように思えるからだろう。八郎も彼女によく似合っている。あと、全ての悪夢(まさしく悪夢)が終わった後、二人が大げさな演出もなく(何かの不具合でOPムービーとEDムービーは流れないので演出があったかどうかも分からないが)、ひっそりと慎ましく北海道だかサハリンだかで暮らしているという静かな終わり方も好ましかった。りんのおっぱいは大きくなったのだろうか。二人はいつかほとぼりが冷めたら東京に戻り、その喧騒の中で元気に生きていくのかもしれないけど、しばらくは北国で静かな生活を楽しんでほしいなと思う。