博『明日ちゃんのセーラー服』

 アニメが毎週素晴らしくて、最終回を前に原作マンガを9巻まで全部買って読んでしまった。そのせいか、アニメ最終回の後夜祭のエピソードはいまいち盛り上がらなかった印象だった。ほとんど明日ちゃんが踊っているだけのエピソードなので、アニメで盛り上げることはできるように思えるけど、前週の木崎さんの幻想の中の明日ちゃんの踊りのアニメーションには届かず、わりと写実的な描写にとどまったようだった。
 マンガは明日ちゃんが体を動かしているコマやふとした表情を切り取ったコマが多いが、「切り取った」というのがポイントだ。アニメだと連続性と動きがあるつくりにならざるを得ないけど(個々のコマは止まった絵なのだろうけど)、マンガは非連続のポーズとポーズ、表情と表情の間の飛躍があって、それが読者の頭の中で埋められて動きや緩急、さらには木崎さん的に明日ちゃんの匂いとか気配みたいなものまで感じられる。髪の毛は翻りすぎだし、スカートははためきすぎだけど、ここはそういう重力が働き、そういう風が吹く世界なのだ。ただし声がつくという意味ではアニメには大きなアドバンテージがあって、アニメを見てからマンガを読むとそれぞれの女の子たちの声が聞こえてくるようでよかった。
 マンガは今は球詠と乙嫁語くらいしか追いかけていないのだが、明日ちゃんは大きな収穫だった。最近はウクライナ戦争のせいで週末も仕事が忙しく、会社の経営は確実に悪くなりそうだし、そのせいでさらに無理して働かされそうだし、家計の状態も心もとなくなっていきそうだし(結局、トラブルもあったので出産関連で300万円くらいかかってしまい、もし2人目ということになれば今以上に相当な倹約生活を強いられる)、ロシアに対するもどかしさも感じる日々が続いているのだが、明日ちゃんのおかげで心が安らぐ。安らぐというか、明日ちゃんたちの表情や体の動きはあまりに心がむき出しになっていて、それを作者があまりに愛情を込めて描いているので、見ているこちらが恥ずかしくなって、あるいは嬉しくなって、読みながら何度も笑ったり奇声をあげたりしてしまう。昨日と今日はワクチンの3回目接種で副反応が出て寝込んでいて、熱や頭痛に苦しむ合間にずっと明日ちゃんを読んでいたのだが、再読してもやはり笑ってしまうのだった。仕事のストレスと明日ちゃんの楽園的世界の落差に見当識が失われてしまったようだった。
 既刊9巻のうち最初に読んだのは9巻だったのだが、そのはじめの蛍ちゃんのエピソードが素晴らしかった。エピソードといってもストーリーはほぼなく、あるのは明日ちゃんと蛍ちゃんの不思議な感情の流れだけだった。蛍ちゃんは髪の毛の量が多くて走り回るとバサバサと翻るのだが、そのせいで風を感じられるようで、とても爽やかな読後感である。この作品全体にもいえることだけど、思春期の女の子の不安定な心の動きを詩的に表現する技法は少女マンガ的で、大島弓子作品を思わせるところがあった。大島作品でも女の子たちが元気いっぱいに走り回ったり、唐突にパンクな衝動に駆られていたずらしたりすることがあったと思うが、明日ちゃんも何かあるとすぐに踊り出してしまうし、そうでなくても表情がころころと変わるので見ているだけで面白い。というかその可愛い様子を見せることに作者が全力を注いでいるので他にやることもないのだが。説明的なセリフでコマを使ってしまうのはもったいない、説明は省いて全てのコマを決め顔で埋め尽くすべきというような意気込みを感じる。絵柄はアニメの方では雫や痕を思わせるような溶けた垂れ目が多かったり、手塚治虫作品の女性キャラや女性動物のような鼻が突き出た横顔(鹿とかのイメージは明日ちゃんにぴったりなのでおかしくはないのだが)がちょっとやりすぎに思えた場面もあったが、マンガの方は肖像画かというような気合の入った絵が多くて見ていて飽きず(特にカラーページは素晴らしい。光沢紙ではない艶消しの紙なので、インクの乗り具合とか質感を感じられる)、もう少し大きな判型で印刷した方がよかったと思う。9巻では鷲尾さんと苗代さんという大人びた二人の問題を抱えて悩む明日ちゃんがなぜか激しく筋トレをし始めるシーンがあって、その様子が何ページも力強く描かれていて圧倒的なのだが(あと鷲尾さんの筋肉がすごい。確かに僕も中学では1年から身長が173cmくらいあるムキムキの男の子がいて驚いたのを思い出した。けっこう気さくなやつで、不良グループにも僕みたいな臆病者にも分け隔てなかった)、肥満気味中年男性の僕も明日ちゃんになった気で筋トレをしたいと思ったものである。しかし苗代さんの悲恋はどうなってしまうのだろうか。ジョギングで鷲尾さんについて行こうと一生懸命走るシーンは、切なくて美しいものを見せられているように感じる。
 そのあと1~8巻も読んだが、やはり面白かったのはアニメ化されていないエピソードだった。アニメ化されたものはアニメで堪能してしまったので、驚きは少ない。基本的に突飛なストーリー展開などで見せるマンガではなく、女子中学生たちの美しい姿を絵画のように鑑賞するマンガなので、全く楽しめないことはないのだけど、マンガかアニメのどちらか先に触れた方が主になってしまい、同時に最大限に楽しむことができないというのはもったいない気もする。先にマンガを読んでいた人よりはアニメを楽しめたとは思うが。というわけで、特によかったのは明日ちゃんの東京旅行のエピソードだった。兎原さんの話(と絵)がかなりよく、彼女が木崎さんを押しのけるほどヒロインになるのもいいなと思えた。この先もそのおでこを曇らせることなく楽しく中学校生活を送ってほしいものだ。兎原さんの実家の描写は、浮世離れした学校生活とは違って庶民的でほっとさせるものがあったが、その対象となる木崎さんの家のエピソードも面白かった。木崎さんは髪を結んで変な触角を2本作っていてあまり似合っていないのだが、彼女の中の子供らしい部分が現れているようで微笑ましい。実際にこのエピソードで描かれたのはささやかなことなのだろうけど、彼女たちの表情と感情の動きを追いかけているととても濃密に思える。僕の子供の頃は、美少女を入念に描いた作品と言えばせいぜい電影少女とかだったけど、マンガにおける美少女の表現や作劇はここまで進化し、純化されていたのかと感心する。
 夏休みの家族旅行のエピソードは、あまりにも美しく描かれすぎていてシュールな感じがして面白い。明日ちゃんのお父さんがイケメン過ぎて面白いし、お父さんの着替えシーンも明日ちゃんの踊りのシーンのように入念に描かれていて笑ってしまう。このような神話的存在としての完璧な父親を演じるのは僕には無理だと複雑な思いも抱く。お母さんもなぜか水着への着替えシーンが入念に描かれていて、その後のスキューバダイビングでもヒロインみたいな扱いになっていて、別に求めていないのになんなんだこれはと困惑する。明日ちゃんから見たらお父さんとお母さんはこういう風に見えているということだろうか。
 『明日ちゃんのセーラー服』はただのマンガだし、田舎の高偏差値女子中学校なんてほぼ空想上の存在のようなものだが、残念なことにこれより軽やかで美しいものはこの世にはあまりなさそうである。明日ちゃんは別に世の中や世界のいろんなことを知っているわけではないのだが、それでも一番美しいものは知っているという生き方をしているし、そういう日々を過ごしている。これは高校生や大人になると失われてしまうものなのだろうか。こんなマンガに負けないように僕も人生をがんばっていかなければならないのだが、それはそれとしてこの先もこの祈りのような作品を読んでいきたい。

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