アニメと記憶の考古学

 17年ぶりくらいに最終兵器彼女を読み返した。たぶん前に読んだのはエロゲーを始めたか始めないかの頃くらいで、キスやエッチの描写がまだ物珍しくてドキドキしたことを覚えているが、話はだいぶ忘れてしまっており、細かい部分などをあれこれ楽しみながら再読した。後書きを読むと作者は奥さんとの恋愛を自伝的な要素して取り入れたように見受けられ、それがちせとシュウジの繊細で瑞々しいやりとりの描写につながっているのかなと思った。後半の「星」がどうたらといって大きすぎる話になってしまうのはさすがに実感をもって読むことができないが、ちせがいうと星という言葉も可愛らしく響いてしまい、仕方ないかなと説得されてしまう。二人の逃避行は、イリヤの空で中学校2年生の浅羽とイリヤがやろうとしたことを高校3年生のシュウジとちせがもう少し先まで頑張ってみたものであり、海辺の町の漁港とラーメン屋で働くつかのまでぎりぎりの生活さえも懐かしくなってしまうくらいに、築こうとする日常はあっけなく崩れていく。僕が逃避行の物語を刷り込まれたのは、エヴァの大量のSSだったか、イリヤの空だったか、最終兵器彼女だったか、それ以外のの何かだったかは分からないが、とにかく2000年代のこの時期にはこういう話を続けざまに読む機会があって、僕は誰かと一緒にどこかへ逃避することを夢見ていたのかもしれない。あるいは、90年代末から続く時代の空気がこのような逃避行を帯電していたのかもしれない。ちせとシュウジについては、人がいなくなった地球を離れて何だかよく分からない生命体(?)になってようやく安らぎを得る、あるいはそのよう安らぎを夢見て終わるという結末は、物語冒頭の坂道を一緒に登校するシーンから始まって時おり得ることができたつかの間の二人の時間という「日常」の延長であり、人の死とかセカイの破滅とかよりもこの日常の大切さを最後まで描いた作品だったなあと思う。ちせたちの物語とは比較にならないけど、僕の嫁さんも体がボロボロで大量の薬を手放せず、何かと戦っているかのようにいつも余裕がなく、引け目を感じながら生き、日常の小さな喜びを探しているような人間なので、この作品は共鳴できるところが少なくない(でも彼女はオタクではないので本作を進めても断固拒否された。いつか読んでほしいものだが)。
 最終兵器彼女はマンガを読んだのが先だったかアニメを観たのが先だったが今となってははっきりしないが、アニメではちせの北海道弁の可愛さが印象的だった。ごく個人的な印象だが、このアニメの北海道弁が十分正確なものだとすると、北海道弁大阪弁、京都弁、広島弁などとは違って、ゴリゴリこない控えめな方言であり、大部分は標準語と変わらないけど(ちなみに、東京西部で育った僕も子供の頃は男の子は~だべというのが結構浸透していたので、ちせたちの~だべは懐かしさを感じる)、ときどき語尾などのイントネーションが恥ずかしそうに少し変わるのが慎ましい感じがする。昔北海道に出張に行ったときに、なまら、はんかくさい、わや、なげる(捨てる)といった方言をお客さんから教えてもらったことがある。本作に出てくるものでは、「したっけ」とかよい。マンガでは分かりにくいところもある方言を楽しめるのがアニメであり、ヤフオクで未視聴の外伝OVAも含めて買ってしまった。本編は2002年、外伝は2005年の作品だが、どうやら画質は少し暗くなるけどどうにか鑑賞に堪えられそうだ。
 最終兵器彼女に先立ち、イリヤの空、UFOの夏の波も来てしまっており、まだ6月24日にも8月31日にも遠いがMAD動画などをあれこれ漁っていた。濃いファンの人が今でも毎年6月24日にボイスロイドによる聖地巡礼などの動画をアップしているのをみて嬉しくなった。アニメ版は尺が足りていない不幸な作品であり、個人的に浅羽のキャラデザと声も好きになれないのだが(秋山先生も原作を書いているときにはあのような女顔の浅羽は想定していなかったとか)、夏の滲んだ空気とか、戦闘機の泣けてくるような動きや質感とか、イリヤの声とか、部分的にみるべきところがあって、やっぱりヤフオクで買ってしまった。ついでにドラマCDと駒都えーじ氏のイラスト集もヤフオクで買った。1年くらい前に化物語シリーズのアニメをヤフオクでそろえて以来、少し古い作品はレンタル落ちの中古DVDが格安で手に入ることに味をしめてときどき何か買っている。サブスクはせかされている気がして嫌なので、こういうシステムがあるのは大変ありがたい。ついでに前から少し気になっていた、涼宮ハルヒの消失(2010年)、夏色キセキ(2012年)、リズと青い鳥(2018年)なども買ってしまった(他にまだ入札中のものもある)。気が向けば感想を書くかもしれない。
 ハチナイでハルヒコラボが始まった。涼宮ハルヒの憂鬱は昔1巻だけ読んでつまらなくて追いかけなかったが(当時読んでいた秋山瑞人中村九郎滝本竜彦といった面々に比べると文章が凡庸でクリシェだらけに思えた)、2006年と2009年のテレビアニメは毎週何が起こるのだろうと楽しみにしながら観ていた。みくる以外はキャラデザも声も好みではなかったが、それでも作品としては楽しめたし、今回のコラボでED主題歌などが流れてきたら懐かしさを感じた。ハチナイでは今風にきれいにのっぺりしているが、それでもいまだにSOS団だのエンドレスエイトだのを元気にやっているのをみると感慨深いものがある。僕の魂のようなものは2000年代に置いてきたままなのだろうか。
 今回の2000年代アニメ熱に先立って、連休の初めに池袋の古代オリエント博物館に行くことになって軽い古代熱があり、FGOバビロニア編の動画を漁ったり(ギルガメシュのキャラクターや古代のロマン、英雄たちの散り際の様式美がよかった)、メソポタミア関連のウィキペディアをあれこれ読んだり、オデュッセイア・ロシア語訳を読んだして(カリプソの島から脱出するくだりとか、王女ナウシカと出会って助けられるくだりとか)、博物館ではヒエログリフ楔形文字のアルファベット表だけでなく関智一さん朗読の『ギルガメシュ叙事詩』のCDまで買ってしまった。連休が世間より1週間早いので4月26日に博物館に行ったが見事にガラガラで僕たちの他には全館で1人しか客がおらず、ぜいたくなひと時だった。
 仕事と生活のリズムがある程度定まった10年くらい前からアニメの新旧の認識があまりなくなっており、各シーズンと共に見終わった作品が後ろへと流れ去り、このブログに痕跡を残すこともなく僕の歴史から消えていく。例えば前シーズンはスローループ、CUE!、明日ちゃん、着せ替え人形、前々シーズンは途中で断念したものも含めるとセレプロ、やくも、見える子ちゃん、境界戦機、無職転生、世界最高の暗殺者、プラオレ、サクガン、大正オトメ御伽噺、先輩がうざい後輩、逆転世界ノ電池少女、ジーズフレーム、鬼滅の刃遊郭編をみていたが、明日ちゃん以外は特に感想は残さなかった(ついでに書いておくとセレプロは今でもED主題歌を聴きまくっていて、あとスローループの恋ちゃんは可愛かった)。こうして作品名を列挙すると古くないのでまだけっこうはっきり作品を思い出せて、気楽に楽しんだりそれほどでもなかったりした記憶と共に微かな懐かしさも感じられるが、特に大きな感慨がわくでもない。今シーズンは処刑少女、ラブライブ虹ヶ咲学園、ヒーラー・ガール、パリピ孔明、であいもん、ヒロインたるもの、本好きの下克上をみていきそうな流れだが、何も感想は書かないで終わるかもしれない。この中ではヒーラー・ガールがかなり大胆な作品で驚きが多いが、他のものもどれも気楽に楽しめる。感想を書かれなかった作品は、僕の記憶の中のどこかのアッシリアの砂の中に埋もれて消えるわけだが、書いたとしてもやっぱり埋もれてしまうので大した違いはないのかもしれない。イリヤの空最終兵器彼女のように、いつか砂の中から発掘されて記憶の博物館に収蔵されるかどうかは分からない。