劇場アニメ雑感:『リズと青い鳥』のことなど

 『負荷領域のデジャヴ』、オカリンと牧瀬氏のラブストーリーだったなあ。90分という限られた時間できれいにまとまっていて、この二人がお似合いの二人だということを改めて認識した。オカリンは本編とゼロでさんざん苦しんだ姿を見せていたので、この作品でもまたそういうのばかり見せられ続けたらこちらが疲れてしまうところだったけど、そこは軽めにして牧瀬氏が中心の進行に移ったのがよかった。ヒロイン中心の方が当然目は喜ぶし、声優さんの熱演もよかった(凶真憑依のシーンも面白かった)。劇場用に作られていたからか、花とか街並みとかの背景カットの入れ方とか間の取り方とかが贅沢なシーンが多かったのも目に優しくてよかった(キャラクターの顔とかはテレビ版とそんなに変わらなくてもうひと頑張りほしかったが、画面構成がきれいなシーンが多かったのでこれでよかった気もする)。そのせいか画面が暗めの色調になっていることが多かったが、この二人にはたまにはそういう落ち着いた感じもいいと思う。2005年で一つだけ小さな改変をするというその仕掛けのささやかさも、ゼロの「相互再帰マザーグース」みたいな優しさを感じてよかった。総じて、シリーズで最後に観たし、これが正史でもいいよというくらいには心地よい作品だった。
 画面が暗いといえば、こちらは感想を書きにくいのだが、『涼宮ハルヒの消失』も暗かった。こちらも背景が素晴らしいアニメで、間の取り方とかアニメシリーズで京アニの演出を楽しんでいたあの頃をすぐに思い出せてよかった。正直なところ、こちらは話が今の自分が楽しむには陳腐化しすぎていると感じたが、絵については滋味が高いシーンが多かったと思う。京アニがすごいだけなのかもしれないが、最終兵器彼女イリヤの空のアニメを観ていると、背景については2000年代後半にそれ以前と断絶するほどの大きな進化があったように思う。
 と書いたが、『イリヤの空、UFOの夏OVAの3巻と4巻を観たら、凝った絵が多くて感心してしまった。解像度が低いのが残念だけど。正直なところ、そこまで期待していなかったけど、結構楽しんでしまっている。ちなみに、好きなシーンの一つは、OPの最後にイリヤの長い髪の先の房のあたりが空中で気持ちよさそうに滑らかにうねるところだ。概してOPは素晴らしいがこのシーンはいつも目が吸い寄せられる。イリヤがこんなふうに風を受けて自然体になれるような話は本編ではついぞなかったので、せめて髪の毛だけでも気持ちよさそうに泳いでいてくれ。
 『リズと青い鳥』も観た。のぞみを映す視線はみぞれの視線で、機嫌がよさそうなのぞみが次の瞬間に何をするのか、何を言い出すのか、息をひそめて見守っているような緊張感がある。緊張感がありすぎてホラー映画のようになっている。のぞみはただの気のいい女の子のはずなのだが。冒頭の二人が合流して部室まで歩いて行って朝練を始めるまでのシーンが、何気ない日常のはずなのに、それを「何気ない日常」の記号として描いていなくて、次の瞬間に崩壊するかもしれない繊細なバランスの上に成り立っている一瞬の連続として描かれていて緊張する。そういう緊張はその後もたびたび出てくる。二人はなかなか言葉を交わさない。意味のある言葉を交わさず、言葉は意味をかわすために発せられる。何か決定的な言葉が発せられてるのを待っているような、でもそんな言葉は発せられてほしくないような瞬間が続く。のぞみに比べるとみぞれを映す視線は安定しているかもしれないが、みぞれ自身は安定していないので美しいものを鑑賞させていただいているような気になる(うがった見方で振り返るならば、それがみぞれを見つめるのぞみの視線だということもできるかもしれないが。それともりりかの視線だろうか)。だけど、ここまで書いてみたことはことごとく間違っているかもしれない。極論めいたことをいうと安易な決めつけになってしまうけど、この作品では意味が定着していないしぐさやカット、記号的にパッケージ化されていないしぐさやカットがたくさんあって、「解釈(言語化)」しようとするとすぐに揺らいでしまうような繊細さと緊張感に満ちている。みぞれの気持ちを言語化してみても、「のぞみ……」とか「のぞみっ!」とかみたいな超意味言語にしかならないだろう。観る者は視覚情報を「解釈」しようとする欲望からは自由になれないけど、もう少し意識をあやふやなまま泳がせておいて、繊細な絵をひたすら眺めて解釈の揺らぎを楽しみ続けるということをしてもいいような気がしてくる。タルコフスキーソクーロフの画面をぼんやり眺めているときみたいに(この2人を安易に並べてしまうのは雑すぎるか)。この場合、ぼんやりと眺めるのはロシアの重くて暗い幻想ではなく、こちらが成仏してしまいそうなほどの美少女たちの楽園なのだが。さっきはホラーと書いたのに楽園になってしまった。最後にのぞみはみぞれに何を伝えたのだろうか(解釈したがることから逃れられない)。のぞみは後頭部しか描かれていないので、常識的に解釈すると、のぞみがどんな顔をしているか想像させるカット、あるいはのぞみの顔は重要ではなく、それを見て表情を明るくするみぞれの方に注目すべきカット、つまりのぞみ視点のカットということになる。みぞれはこれまでで一番明るく、嬉しそうな表情を見せているが、セリフは聞こえてこないので何があったのかわからない。これまでの流れでは言わなかったような、あるいは想像できなかったようなことをのぞみは言ったのかもしれない。僕たち視聴者は、みぞれが喜びそうな何通りもののぞみの言葉以前の言葉や表情以前の表情を想像して楽しむことができる。そういう詩のようなシーンがたくさんあった気がする。またいつか見返したい作品だ。

 最後に剣崎梨々香についても。彼女にとって魂の一日だったプールの日が一瞬で終わってしまったのは笑えたが、先輩後輩関係について思い出させてくれるキャラクターだった。ここで唐突に自分語り。たまたまなのか分からないけど、僕の場合も先輩たちに対する畏怖や憧れのような感情を抱く体験をしたのは高校の部活だった。1学年上の部長は華奢な美少年タイプの人で、副部長も背はそれほど高くないけどもう少しがっちりした体格で、進学校にしては珍しく、こちらは力を持て余したヤンキーみたいなところがあった(失礼な言い方になるが顔も関西のコメディアンぽかった)。部長のポジションは左サイドバックで、これは基本的に子供の頃はうまくない子にあてがわれるあまりのポジションのイメージがあり、僕の学年でも地味な子たちがやっていた。相手チームの花形である右フォワードなどに振り回されるやられ役のポジションだ。しかし、部長が目の覚めるような鮮やかなプレイを連発し、バックなのに相手のフォワードを翻弄するのを見てイメージが変わった。南米的なリズムや欧州的な体力でサッカーをするというよりは、一瞬で決着がつく真剣の立会いをみているようなところがあり、バックがやるには危なっかしい気もするのだが、勝つのはいつも部長だった。一つ一つのタッチがサッカー選手らしくない無防備さであり、でも実はそれは罠なので突っ込んでいくとかわされる。取れそうで取れない不思議な間のプレイスタイルだ(右利きなのに左サイドバックだったことも関係している)。やられ役のはずが気づくと一番美しいプレイをしていた。当時の僕の印象が強烈だっただけかもしれないが、後年、テレビなどでプロのプレイを観てもあの時の部長のプレイの美しさを上回る選手をみたことがない。一つだけ近い印象を受けたものを挙げるとすれば、今となっては記憶が曖昧だが、井上靖の『夏草冬濤』か『北の海』に出てくる先輩だった(この話は前にも書いたかも)。澄ました優等生のようでいながら結構すさんだところもあるような人だった。副部長のポジションはセンターバック。センターなのでサイドバックほどあまった人用というイメージはないが、こちらも相手チームの花形であるセンターフォワードを抑えなければならず、しかもサイドバックとは異なり基本的にオーバーラップして攻撃に参加することはほぼ許されず、ひたすら守りに徹する苦労人のポジションだ。それをいささかヤンキーじみた攻撃的な人がやっていて、ときどき手を抜いているようにみえながらも危なくなると爆発的な瞬発力をみせるのは頼もしかった。プレイスタイルはしなやかな豹をイメージさせるもので、部長と違って不思議な間を使うことはなかったけど、やはり僕とは違う次元にいることが感じられた。そして梨々香こと僕(唐突な女体化ごめんなさい)。サッカー部は公立の進学校ながら3学年合わせて50人以上いるような大所帯で、結局最後までレギュラーになれなかった僕は、左足をうまく使うようなこともできず2軍のサイドバックとかボランチを中途半端にやっていて終わった3年間だった。そんなわけだから部長たちとの接点などないはずなのだけど、僕がぼっちぎみの優等生キャラだったからか、ポジションが近かったからか、数人のグループでパス回しをする練習の時などに部長と副部長がよく僕に声をかけて混ぜてくれた。僕もなんとなく先輩たちの近くにいて、声をかけてもらうのを図々しく中途半端に待っていた。今考えるとなんで声をかけてくれていたのか謎だが、当時は僕も10回に1回くらいは美しいプレイを決めることができ、他のうまい人たちとは違うリズムを持っていたからだとうぬぼれていて、その自信は確かに僕の実力の向上に役立っていた。りりかと違って一緒に練習する以上のことがあったわけではなく(そういえば体育祭の準備チームでも部長と一緒で、一緒に授業をさぼって大工仕事をしたりした思い出とかもあるけど長くなるので割愛)、僕がこっそり憧れていただけで終わった高校時代だったけど、りりかの気持ちはわかる気がする。2つ上の学年にもすごい人たちがいたけど、体格とかが違いすぎたし半年足らずで引退してしまったので、どちらかというと神話的な霊獣のような存在だった。1つ上の部長たちは身近だった。りりかたちの吹奏楽部も大所帯で、パート練習とかあるのをみると、同じグループの先輩に憧れられるような人がいるのは幸せなことだと思う。りりかはインディアンの酋長のような奇妙な髪型と着崩しをしているのだが、そういうまだ何者にも定まっていなくて浮ついた自分が、無駄なく研ぎ澄まされた先輩たちに惹かれていく。先輩に近づくのは緊張するし怖い気もするけど、その光というかエネルギーを少し浴びてみたくて吸い寄せられる。そんなインディアンもいつかは先輩にならなくてはならない。先輩に憧れる後輩でいられる幸せな時間は一瞬だけであり、そんな一瞬の理不尽な美しさを描いている作品だった。

 たまたま劇場用アニメ(一部はOVA)を連続して観たことになったけど、どれも間の取り方とか背景美術とか視覚的な処理とかが新鮮に見えたシーンがたくさんあって、自分がいつのまにか(ニコニコとかで観る)テレビシリーズ用アニメを観すぎてそのフォーマットに毒されていることを気づかされた日々だった。いやあ、映画って本当にいいものですね…