グレッグ・イーガン『ディアスポラ』

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

 降参。誰か日本語に訳してください。レムの『虚数』に続き、2冊目の理解できなかったSF。こっちは専門的な知識が多すぎて、根気よく読んでも無理そうな気がする。中性子とか普通に言われても困る。文字情報の限界というか、イラストがなかったのが残念。球と90度で交わる球とか5次元の世界とか言われてもよく分からないし、視覚的な描写を一生懸命文字でやっているところが多くて、数学言語に慣れていない自分にはずいぶん効率が悪く思えた。まあ、紙の平面上には描写できないような視覚情報なんだろうけど。作者による解説のイラストとかもあるけど、これも抽象的で。
 視覚と言えば、この小説にとっては末節なのかもしれないけど、視覚の美的センスがいまいちというか。未来人がなんかヒエロニムス・ボスの絵に出てくるクリーチャーみたいなのばっかで、未来の風景もなんかつるっとしていて色気を感じない。主人公のソフトウェア人ヤチマを始め何人かは中性らしいので、もっと口調も変えて、そこはかとなく萌えるイラストとかつけて欲しかった。
 ストーリーそのものは確かに壮大で面白かった。無限の長寿を手に入れて、幾千もの文明がある別の宇宙に行くのも、幾百兆もの宇宙を飛び越えて孤独な旅をするのも、なんとも夢のある話で。


 全然関係ないけど、「キャラクターなんとか機」で遊ばせていただきました。伺かやりたいけど余力なく、ただこれをいじってみただけ。名前は・・・せっかくだから「ヤチマ」。「わたしは立ち止まる気になれません。いまはまだ。あなたはひとりきりで死ぬのがこわいのですか?」
yatima

中村九郎『神様の悪魔か少年』

神様の悪魔か少年 (Style‐F)

神様の悪魔か少年 (Style‐F)

 この文体でこんな内容の長編というのがすごい。いわゆる埋め草的な地の分と、ナイーブな比喩や笑いとは、テンポが違うから普通なら後者をどこかの見せ場にまとめたりして、「分かりやすいような配慮」がされるはずで、そうでない場合は、始めから飛ばしていたりして露骨な規範の侵犯が目に付いて、「あ、この作者力んでいるな」というのが分かってしまうものだけど、中村氏の場合はマイペースにゆるゆるとこのおかしなテンポの文体で続けていってしまう。これだけ息の短いはずの比喩や呟きを重ねていっているのだから、本当はゆるゆるではなくてかなりの集中力が必要なんだろうけど。文学におけるインファンティリズム。タイトルからして問答無用の脱力的な言葉遊び。フラストレーションをためてこそのカタルシスであって、性欲というのは一点にまで高められ凝縮されてから弾けるはずのものなのに(西尾維新瀬戸口廉也もどちらかというとこっちだ)、多形倒錯型の幼児的な性欲はだだもれで気まま、手に触れるもの目に付くものが全てその場でエロくなりうる。これは「大人」が意識的にやろうとしても目も当てられないただのエゴイストになってしまうので難しい。子供のような呼吸の清らかさが必要なわけで、それを思い出して筆に乗せられるほど深く沈潜できるかということ。『ロクメンダイス、』にあったような、意地悪な一吹きで消える灯火のような純真さは(われながら恥ずかしい比喩だ)、本作ではかなり「ハード」なストーリーでも失われていない。まあどんなストーリーであっても、この人の書くものが普通の村上龍か何かみたいな意味での「社会派」な小説になるわけはないけど(何しろ「摂政」といってもヒロインとだべっているだけで、「政治」らしい実務的なことはまったくやらないが、そこがいい)。もちろんただ思いつきを筆の赴くままに重ねていっただけの小説ではなく、かなり込み入った複線がいくつも張ってあり(正直ちょっと重すぎな感も。だから「母子」の断章は不謹慎ながら思わず笑ってしまった)、乱暴に言えば『罪と罰』的な大枠を持っているけど、『きみとぼくの壊れた世界』や『CARNIVAL』みたいに、結局は良質なキャラクター小説だといえる。キャラクター小説というには言葉のリズムや質感がやけに濃いけど。この純度が、次もよい小説を生み出してくれますように。