CROSS†CHANNEL (85)

CROSS CHANNEL
 少なからず身につまされる人間的な欠陥がテーマだったけど、主人公の捨て身でシーシュポス的な奮闘のおかげで、なんとか乗り切ることができた。その意味ではクロスは贖罪と救済の十字架みたいなものかも。


(ネタバレ気味長文)
 超人的な機知と瞬発力で必死におどけ続け、絶望的なセクハラを繰り返し、黒い自分にも最低限許されるはずの、幸せの欠片を手に入れようともがく主人公。残念ながら凡人の自分にはついていけない部分もあるけど、それでもとりあえず共感する。セクハラもナンパもできない(とりあえずしたいと思わない)僕に代わって目いっぱいはじけ、自滅する。自滅してもなおエールを送り続ける。まったくなんというバカな奴か。嫌な光り方かもしれないけど、それでもお前さんは光り輝いていた。ソウイウノ、キライジャナイカラ・・・
 ギャグや笑いは盛りだくさん。でも機知といったほうが正確だと思う。普通機知は何かをかわしてバランスをとるためのものだけど、この呪われた主人公の場合は、かわしすぎて黒さが出てしまう。人を振り回してばかりなのだから、不快になるのも仕方がない。本作から不快感しか受けない人というのは、普通の健常人であるか、あるいは、主人公に振り回されることを作者に振り回されることに置き換えすぎている人なのだろう。
 周辺的なことを少々。デザインや絵はやわらかくてかわいいけど、ちょっと物足りなかったかもしれない。イマがよすぎるのかもしれない。それでも二人の世界に閉じこもるよう呼びかける曜子には、少しメタっぽい危うさを感じた。音楽もイマと比べると弱め(特に「送還」時のララララはもったいない)。声はみんな合っていてよかった。
 キャラゲーとしては本作はどうか。ヒロインたちは、Keyのヒロインたちのような二次元の妖精ではなく、世間では「病理的」とされるような生々しい痛みを背負わされている。彼女たちの弱さはどちらかというと、欲望という仮構的な基盤上で際限なく膨らむものを駆動させるのではなく、生理的なものなので、正しい処方箋が示され、プレイヤーも適切な距離をとらざるをえない。この点でロミオ氏は社会派だ。取り上げるテーマにもその解決にも、どこか社会学的なものがある(神樹の館はささやかな息抜きという感じ)。冬子や曜子や霧は距離0で萌え狂いたいような魅力は持っているが(美希は弱さがよく見えないお花ちゃんだし、みみ先輩はわが弟に似ててちょっと萎え)、そうやって萌え狂うことはこの作品の結論によって抑止されている。キャラゲーの理は反社会的なものだ。「適応係数」の高い者は他人に害をもたらすから隔離するということが、本作の欠かせない、社会学への出口となっている設定だけど、もしこれがなかったら、このロミオヒロインたちに際限なく萌えることが可能になる一方で、彼女たちの魅力はくすんでしまうだろうか。あー、ままならねーですー。
 まあ、そういった煩悩はおいといて。自慰と萌えだけがエロゲーのすべてではないし。主人公も生きているゲームがあってもいい。
 これからの人生で、いつまでも嫌な過去を引きずり続けたり、周りに溶け込めず寒い思いをすることがあるとしても、この反対方向に振り切れた主人公を思い出せば、何とかやっていけるのではないかと思う。黒須太一は望んでいた「青春群像グラフィティ」を、たとえわずかであっても手に入れられたと思う。