14. 痛々しいはずのエロス

 陵辱されているのにこんなにエロいとは、瀬里奈は天才だorz。そして我慢できなかった僕は最低だ。けっこう(無駄に)耐えてたんだけどね。こう何シーンも続くと・・・。陵辱は回避可能と聞いていて、痛々しそうだから避ける予定だったのに、いつの間にか辱められる瀬里奈に興奮している自分がいた。どうしたことか。天罰か何かだろうか。このエロさは、絵と声がいいからだろうか。シナリオが(エロパートは)上手いからだろうか。あまりにあっさりラブラブになった二人についていけてなかったのだろうか。陵辱エロは(和姦もそうかもしれないけど)あまりシナリオと整合性を持っていない。(いまさらだけど、ちょいネタバレ注意)。一度辱められても、そのことで瀬里奈が何かを学んで対策を講じたり、事態が好転する気配を見せたりすることがない。瀬里奈もプレイヤーも物語も、この「間違った」展開に対する何かジレンマのようなものを抱えたまま、冷静になる間も与えられずに、押し寄せる陵辱に流されていく。これが和姦ルートならAV的なマンネリ感が漂いそうな気がするけど(逆に上手くいけば、終わることのない幸せなエロス)、陵辱ルートの場合は、何かよく分からないエモーショナルな何かの増幅を促している。と正当化してみる。ともかく、もう少し残っているから、後ろめたい気持ちを抱きつつハァハァしとくか。
 今まではブラウン管モニターで進めてきて、ノートパソコンの液晶とどっちがきれいか比べてみたところ、解像度が高くても液晶だとそれこそ水っぽくぼんやりと映ってしまい、ブラウン管のほうがきれいではっきりと映ることが判明した(なにやってるんだか・・・)。以前パンドラの夢をやったときは、夢幻的な作品の雰囲気と液晶がよく合っていたような気がしたけど、瀬里奈では絵の立体的な美しさを見せるのにブラウン管が適している感じがする。と言っても追認にしかならないかもしれないが。ともかくブラウン管と液晶でこれほど質感に違いが出るとは思わなかった。どう使い分けたらいいか、2chのエロい人にでも訊いてみようかな。
  モラトリアム時代の最後の記念にと、先日、積んでいた『アンチ・オイディプス』を読み始めた。ドゥルーズガタリの名前を初めて聞いてから10年近くたち、解説書とかも読んだことあるけど、彼らの著作そのものを読むのはこれが初めてになる。まともな人文系の研究書(と言うにはイデオロギー色が強いが)を読むこと自体が久しぶりだ。テーマ(欲望のメカニズムの解明)が大きすぎ、記述が取りこぼしのないほど周到にして繊細なので、2段組とはいえ高々450ページほどなのに、いつになったら読み終えられるか分からない。感想は読み終えたときにでもまとめるとして、とりあえず今言っておきたいことは、瀬里奈機械は性能が高く、陵辱においても多量の欲望を生産し、僕をエロゲーマー機械としてしまうなあということだ(←真剣な批判理論の淫用)。


 ・・・とか書いてたら内定の電話来た。ワーイ、ワーイ・・・ワーイ・・・・・・イイノカコレ・・・