プラトン・カラターエフだったかな、『戦争と平和』を読んだのは高校生くらいの頃だったし、正直なところ後々いろいろなところで読んだので強調されていたほど印象には残っておらず後付のイメージなんだけど、なんとなく思い浮かんだ。何が起こってもへこたれず、いつも上機嫌で周りの雰囲気を支え、いちいち細かいことに気が回り、自らは慎ましく。60になろうという好々爺然とした日系ロシア人。いちいち面倒ごとの起きやすいロシアだからこそ、これほどの完成されたれた人格に凄みとリアリティが出る。いろいろと苦労した分懐が深い、というのもこの人なら陳腐に響かない。Ахчи-будьте-здоровы-спасибо。岡野真澄のふたなりソングと鳥の詩を勧めたら、分かる分かると楽しそうに笑っていた。200歳まで生きてほしい人だ。
ハエが紫陽花の花に群がっていて気持ち悪い。これだけ数が集まると別次元の気持ち悪さになる。仕事がなかなか軌道に乗らず、曖昧な問題が溜まっていき、風呂は3日に1回くらい、4・5人の相部屋で寝起きして、昼夜の区別のない生活。寝坊して深夜に出られず、でもベテランの先輩やタフなロシア人は鷹揚で、僕は仕事を覚えない代わりにたっぷり眠らせてもらってて、時間がたつごとにロシア語についていけなくなり何度も聞き返す半人前に、東京からはあれをやれこれをやれといろいろと。飲み会とかでもそうだけど、前半は飛ばせても、そのうち失速して静かになるのは、精神的な容量が少ないからで、そんなことを考えるといつも引きこもりたくなる。人が集まり何かをするとなると、心の狭い人間にとっては、否が応でも各人の居場所、優劣の問題が出て来る。誰かと交渉して自分の意見を伝えて動かすということは、そのたびに勝ったり負けたりして感情を動かさなくてはいけない、いやなことだ。このハエのいる場所からは抜け出せても、何も変わらない。爽やかな仕事、なんてないか。ハエについて語ったのはドストエフスキーだけじゃない。
この地では腐海に沈みかけた廃墟のような建物が多い。寒暖差が激しく、冬は雪と氷に浸食されるので、普通の建物は10年くらいほうって置かれるとストーンヘンジみたいな遺跡になってしまう。草原や森やそんな建物を帰路のバスの窓から眺めつつ、久々にゆっくり音楽を聴いた。大味な1週間を過ごした後だったので、クラナドの音楽とか新鮮に聞こえた。東京に帰っても暑いだけで何も楽にはならないけど、ここであともうひとふんばり。取引先の美人秘書に香水をあげたり、社長の孫娘幼女にスーパーボールをあげたりは済んだのに。