サポーターサイト向けのウェブノベルが送られてきた。レオとリザの話なのでちょうどよかった。しかもなぜか1830年頃のオデッサ。なんかあったっけ・・・。オデッサは1900年代の戦艦ポチョムキンのあれとか1920年代のセラピオン兄弟派とか十二の椅子とかまではよくわからない。歴史的には、18世紀末にエカテリーナ2世がロシア帝国領化してからまだすぐの時期らしい。ロシア語ウィキペディアによると、オデッサは1820−1830年代に特に発展して、アンピール様式の建築が広まったとある。
1830年代のオデッサのリシュリュー・リセ(中等学校)
あと文学史的に重要なのは、皇帝の不興を買って南方流刑中だった詩聖プーシキンが1823−1824年はオデッサにいたこと。ここでファムファタル物の叙事詩「ジプシー」やトルコハーレム物の歴史叙事詩「バフチサライの泉」が書かれた。ヴォロンツォーヴァ伯爵夫人を寝取ってまた追放されるまで、抒情詩も結構書いていた。
レオがいた当時のオデッサをしのびつつ、ここでも一部書かれた物語詩『エヴゲーニイ・オネーギン』より:
当時暮らしていたのは埃だらけのオデッサだ:
空は長いあいだ明るいままで、
たくさんの商売が、こつこつまじめな帆をあげている;
すべてがヨーロッパの息を呼吸し、ヨーロッパの風を立て、
すべては南の輝きを放ち、生きた多様さのまだらもようをなす。
イタリアの黄金の言葉が陽気に響く通りには、
誇らしげなスラヴ人、フランス人、スペイン人、
アルメニア人にギリシャ人、ずんぐりしたモルドヴァ人、
それにエジプトの地の息子、引退した海賊のモラリ氏も。
そしてどこかに、第4の「最愛」をつくるイタリアの錬金術師も・・・。