世界でいちばんNGな恋 (70)

 エロゲーで夢を見るというのはどういうことなのか、改めて考えさせられる。
 シナリオゲーには社会人物が少ない。だからたまに当たると面白い。でも今まで当たったのは社会人といってもイレギュラーで、アルバイトとかブルーワーカーとか。会社組織のしがらみとか金儲けとかとの関わりは少ないものだった。それでも智代アフターをやって就職をまじめに考えるようになるくらいには面白かった。社会的なつながりや重みを避けるというのは、エロゲーが反社会的なものとの親和性が高いことと関わる話だ。小単位の社会である「家族」の名前を冠した家族計画でさえ、最終的には社会の最小単位である二人にたどり着くのがやっとだった。
 この作品では社会人としての主人公がかなり前面に出てくる。得意先への欠品対策、自分の人格を餌にして会社を売り込む営業、会社が生き延びるための書類偽造、家族を守るためにばかばかしい不正や残業を我慢する上司、残業しないとはかどらない仕事、めんどくさい稟議手続、課長を飛ばして部長に相談してお小言、一つ終わってもまたゼロから山済みになる課題、与信設定のハードルが高いくせに無茶な売上目標(はなかったか)…。定年間近の先輩から、出張中で連絡の取れない社長の筆跡を真似て契約書にサインをしろと言われたことや、海外に出す検品データの改竄を命じられたこととか、ミスをしては何度も何度も上司に迷惑をかけたことが思い出される。こんなことにいちいち気を使っていると青臭いことを考える余裕がなくなって老ける。老けないために飲みに連れて行かれ、体育会系的な調子で自分を鼓舞し、若さをアピールする。生きがいを捏造する。それがまたおっさん化を進めるのに。サラリーマンの王道だ。こんなところで責任を持たされ、数字を背負わされて、もともとキャパが小さいのにいよいよ余裕がなくなって身動きが取れなくなる前に、僕は逃げ出した。もっとニッチで静かで小さな会社に移った。この作品の主人公は踏みとどまって引き受けた。スタミナと気力があったから。自分を犠牲にして守りたいものがあったから。作品のプロット上、主人公はだめな社会人として行動が裏目に出るようになっているけど、実際には歪みのない良質な社会人だ。反エロゲー的な優等生だ。報われるのは当たり前。印象としては、エロゲーというよりは社会人物のテレビドラマや映画に近い。何話とかスペシャルとかの構成もそうだし、いちいち小洒落た台詞回しも。といってももう何年もそんなの見てないからよく分からないけど。ともかく、社会に適応するための物語だ。馴致されるけど、守りたい人を守れるのだからそれでも悔いはないということ。そういうものに対する抵抗を捨てきれない自分にとっては、主人公のタフな面倒見のよさ、マッチョな神経の細やかさにはアンビバレントな感覚を覚える。麻美シナリオになるともう、ちょっと疲れた大人の技巧みたいなものまで見せつけられる。これは誰得なんだと思いつつも、そういうべたっとまとわりつくような依存関係に巻き込むことが現実の男女関係の基本のような気もするので否定もできない、という麻美の戦略に降参する。ことあるごとに29歳と騒ぐ主人公よりも自分のほうが年上でオジサン、平日はエッチシーンでも平気で寝落ちしてしまうようなオジサンなのに、社会人としては自分のほうが明らかに格下なのでいじけたくもなる。そう、この作品の主人公は感情移入のための器ではない。社会を築くから。自分を曲げずに自分を変えて適応できるから。地に足の着いた物語だ。キャラ絵のタッチや背景画やBGMにも垢抜けない地上感がある気がする。
 地に足が着いているということは、エロゲーは天上の芸術であるべきだと思っている変態にとっては厳しい。地に足のつかない、自由な空想の産物としてのエロゲーには抽象的な欲望というか萌えというかがある。ヒロインを幸せにするために模範的な社会人であることは、必須ではない。何かの事業責任者や会社の柱にならなくても、ヒロインとは思い出のがらくたや子供じみた言葉の交換で幸せになれる。御都合主義は奇跡を実現するための神秘的な契約。ねじの緩んだ会話はヒロインとの交感のための特殊な技術。抜きゲーで表現される欲望だって、売春と似た形態をとるエロゲーというジャンルそのものでさえ、ありえない幻想の愛情に裏打ちされた儀式の一部だと曲解可能。エロゲーをやるのはきちんとした社会人になるためではなく、一人でひっそりと抽象的な罪を重ねるためだ。
 最後のミトコシナリオでの離陸っぷりにはすべてが報われるような多幸感がある。未来にはもう幸せしかない。会社勤めの社会人としての主人公は後退して、ついに手に入れた枯れることのない幸せと安息に包まれる。エロゲーは苦しんだあとにやっと「普通の」エロゲーになれたように見える。もうミトコさえ笑ってくれれば後はどうでもいい。どうでもいいといってもその境地に至る道すがら社会人としての問題は解決してしまっているから、もう思う存分変態になっていいというところがおいしい気がするが。こいつ罪を犯しているとか言ってるけど、ほんとにそう思ってるのかと。もう、あとは心置きなく幸せを与え合うだけだ。そしてまた、ここからもう一歩先に進む誘惑に勝てなかった智代アフターと比べると、ミトコとのこの幻想的なありえないほどの幸せは、他方では彼女のストレートで生々しい思いに引き立てられてもいる。それは十分な強さを持つ答えのように思える。