グレッグ・イーガン『祈りの海』

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

 知性や科学を突き進めて行っても、その果てにぬくもりが存在するわけではない。

ぼくはいった。「麻薬はここにだけあるのではない。水の中にだけあるのでもない。それは今では、ぼくたちの一部分だ。それはぼくたちの血の中にある」ぼくはまだ目がよく見えず、きいている人がいるのかどうかもわからなかった。「だが、あなたがそのことを知ってさえいれば、それはあなたが自由ということだ。」
(「祈りの海」、p.445)

 主人公はむなしく叫ばざるを得ない。イーガンの短編は必ず主人公が、自己責任の自由と自分の運命に立ち向かう気構えを手に入れて終わる。まじめで重苦しい。主人公も疲れたり、力んだり。文体の実験とかしないし、言語表現の形式的な面にはあまり関心がないのかな。アイデアはすごく豊富だけど、それを細らせていく。では膨らませて投げっぱなしがいいのかというと、それはよくわからない。
 「祈りの海」は、絶えず光を求めて翻弄される主人公の、求道の半生を描く。ストーリーの展開はどちらかというと淡々としていて、100年前にクズミンが書いていた『翼』なんかを思わせる、古典的な話だ。もっと縮めてしまってもいいと思う。テーマ以外で印象に残ったのは、海と海人のイメージ。青の6号のミューティのイメージだ。あと、クライマックスの宗教的神秘の科学的解明のエピソードで、お馴染みのエロゲーとのリンクが見つかったとき。宗教的エクスタシーという麻薬を求める人々は、人の期待を自分の期待だと思って、エクスタシーを演じ、そしてそれが実際に起こる。批判的な知性は孤独だ。

ぼくは幸運だった。中庸の時代に生まれたのだから。ぼくはベアトリスの名のものとに人を殺したりはしなかった。殉教もせずにすんだ。<・・・>だが、だからといって、その核心に存在する何もかもが偽りだいう事実は、変わりはしなかった。
(「祈りの海」、p.435)

 「ぼくは幸運だった」。過去形だ。「しなかった」「せずにすんだ」。否定形でしか自分が何をしていたのか言えない。ぬくもりは、人がもうこれ以上先へいけないところまで突き進んでしまって、仕方なく周りを振り返ってみたときに見つかる。
 もろにエロゲー的で面白かったのは「キューティ」と「誘拐」。「キューティ」は個性的な人格を獲得してしまった人工の娘の話。主人公はそれを望んでいたし、望んでいなかった。結局成り行きを運命として受け入れる。「誘拐」は脳内妻をハッキングで誘拐されてしまった男の話。イーガンは設定はうまいけど、SF的説明で済ませてしまってキャラ立てにはあまり関心を持たない。テーマだけなら文学はもう大体漁り尽くしてしまったのですよ。もっと言葉の魔術を!・・・・・・まあ長編のほうも読ませていただきますが。