西尾維新『きみとぼくの壊れた世界』

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

 期待してたよりずっと面白くてよかった。ファウスト2号に載ってた「りすか」の一部分を読んでみただけで、この作家はつまらないと決めつけていた。
 ミステリを知らない人間の印象なのかもしれないけど、終盤が軽く腐り姫を思わせた(文章だけならこの小説のほうがすごい)のを除くと、全編ドストエフスキーの『白痴』が思い浮かんできて仕方なかった。小説のエピグラフにはバイロンの「きみのためにたとえ世界を失うことがあろうとも、世界のためにきみを失いたくはない」が取られているけど、その下に『白痴』の「美は世界を救う」を加えてもいい気がする。
 推理物と主人公の独白ということなら『罪と罰』だけど、でも『白痴』。表紙にもなっている病院坂黒猫という女の子が、イッポリートを女体化したみたいなのだ。萌えるけど恐ろしい。けど安らぐ。他のキャラも強引に対照させてみると、主人公=ムイシュキン、迎槻=ロゴージン、琴原=アグラーヤ、夜月=ナスターシヤ。単なる戯れだけど――それに『白痴』の内容あまり覚えてないけど――、似ているような気も。作中では「似ているっていうのは違っているということ」と言ってたし。そして、『白痴』の方とは違って、一番印象的なのはイッポリート=病院坂だ。
 キャラの配置以外にも、文章の息の長さがドストエフスキーみたいな感じ。秋山瑞人とか滝本竜彦とか舞城王太郎(はまだ1冊しか読んでないけど)なんかは、フレーズを積み重ねてぐいぐい押していく感じような感じだけど、西尾維新はパラグラフ単位で長々としゃべり、内容も思弁的。思弁的だけど話者の感情とかジレンマとかが漂う。翻訳文学であるドストエフスキーよりも文章が「稚拙」な感じがするのはどうかと思うけど、切れ味のあるところもかなりある。あと、ドラマの組み立て方や見せ方もやっぱりドストエフスキーっぽい。
 似ているだけで違うわけであって、現代の作家としての西尾氏の小説は面白くて新鮮だ。言葉との付き合い方とか価値観とか萌えとか。価値観なら、たとえば最果てのイマ田中ロミオ氏がエロゲーの制約から解放されたらこういう小説を書いてくれるんじゃないだろうか。「戯言」とかいうふざけたポーズが僕みたいなスノッブにはかなりつまらなそうに映るんだけど、機会があったら他の作品も読んでみたい。でも、この小説も病院坂黒猫も、一回読んで忘れてしまうのは失礼なほど、眩しくて見事だ。


 ・・・・・・だいぶエロゲ脳が進行していたみたいだ。世間の評判を見てみたら、西尾維新の悪意だとか結末が暗いだとか言われているみたいだけど、承服できません。ある程度「暗い」のは現実的だし、作者の誠意だと思います。