AIR桂遊生丸コミックス版2巻

AIR (2) (カドカワコミックスAエース)
 NHKショックから少し立ち直り(?)、AIRの2巻(最終巻)を読んだ。読み飽きたはずの物語でも、丁寧に語りなおされれば何かを得ることが出来るのだから、やはりそこには何かがあるのだろう。マンガ技法的には決して高くはなく(特にデフォルメのギャグシーンが壊滅的だし、平均的な少女マンガ風のコマのつなぎ方には特に切れ味はない)、原作にあった音楽や色彩や演出の強力な援護もなく、ボリュームも限られている。文章と絵の主従関係が原作とは逆転しているとも言え、言葉の勢いが扁平で薄まっている代わりに、キャラたちを描く個々のカットが丁寧で、物語の線的な力が弱まって、キャラのイラスト集を見ているような感じも少しする。イラスト集としては破格の安さだ。普通(?)のマンガよりも多分、描写対象において風景や事物に対する人間率がかなり高く、伊藤剛が『テヅカ・イズ・デッド』で言っていたように「見せゴマ」率が高く、最近のマンガの詩学に忠実なのだろう。絵を言葉がイラストしており、コマのつなぎ方に切れ味はなくても、多少は省略による分かりにくさは保たれているし、物語を包むあたたかさは素晴らしい。このやり方は本作では正解だと思う。「宗教的」な吸引力を持つこの物語にあっては(いい加減この話題もしつこいですね)、すでに話の展開が既知であったり語りの切れ味はなかったりしても、聖者伝やイコンのように、読み手が描かれている一コマ一コマのキャラと情動的な通信を図れること(萌えられること、といってもいいけど)が重要なのだ。その上で、多少原作とは光の当て方が変わっていたり、外伝的なエピソードがあったりすることが心地よくて嬉しい(приятноがいつも日本語で上手く出てこない。語彙が貧困だなあ)。いつもながらかなりえらそうなことを言ってしまったが、表紙の観鈴ちんを一目見れば分かることだ(*アマゾンの写真は発色がきつめです)。神奈の物語が省かれてしまったのは残念だけど、まあそれは言うまい。