屠殺の園 (70)

屠殺の園

屠殺の園

 水仙花のあとにどんな作品を作れるのだろうかと気になっていたのだけど・・・正直、あまり変わっていませんね。元長氏が雌伏中で他にこういうのを書く人がいなそうなので、HAINさんがこの辺をどんどん耕していかれるのは悪くないと思います。
 さっぽろさんによる音楽は今作でもよいけど、絵とその使い方が貧弱。もともと実用性はあまり志向していないテーマの作品で、さらに音声がないのに加えてこの絵では、悲しいかな微動だにしなかった。女装少年専門メーカーの作品はさすがに初めてなので、案外これでも正しい楽しみ方だったりするのかもしれないが、悔しいので、いつかオナ禁してためて、ワインで酔っ払ってハイになった時に再戦を挑んでみたい。
 話としては、水仙花で盛り上がった御門方面の「エロゲーへの反逆」のテーマに焦点を当てた感じか。「らくえん」とは反対に、笑顔で「堕落する準備はOK?」とは言えない不器用なヒロイン達は、今作では「沙耶の唄」が踏みとどまった線もあっさり越え、その果てに何かを得るのでもなく、受け入れる結末も何だか妥協のような。カラスとヨーコは全体的にキャラ造詣が甘かった感じだし。ツバキはシーン「筋書き通りの真剣勝負」と「菜食主義者プロパガンダ」が素晴らしかった。


(ネタバレ気味注意)


 今回は水仙花の光一のような、男の主人公がいない。プレイヤーは、作中でも言われているように、傍観者にならざるを得ない。エロゲーのフォーマットに入っている学園という場所は、ここでは「世に送り出される前のヒロインの卵を教育する場所」、別のフォーマットであるバトル物における戦場は、学園の卒業後にヒロイン達が送り出される「消費が加速されるエロゲー市場あるいは資本主義的なシステム」という風な分かりやすい二重の意味を与えられているので、まだ市場に出ていないヒロイン達には男性主人公がおらず、自らもまだ美少女として教育されていない両性具有的な存在であり、加えて、作者が普通は男なのだからその創造物も男の産物であり、作者/キャラ/読者の三つ巴で自慰をしているのは当たり前だろ、というよく言えば照れ隠し、悪く言えば嘲笑の身振りが入る。実際は、ふつうここで何らかの「奇跡」が起きてヒロインは女の子になっているはずなのですが(笑)。そう考えると主人公の存在というのはヒロインたちにとってはよくよく重要な問題で、HAIN氏は次回作ではどうするのだろうかと思う。あと、物語は次回も書かないのだろうか。
 文体は前作と大体同じ。芝居がかった言い回しがやや減った。今回くらいのボリュームならたいした問題はないけど、もう少しテンポの速い文章もほしい。
 ツバキにとってよいことだったかどうかは分からないが、選択肢では物語を続けるほうを選んだ。引き続き期待しています。


こちらにも作品紹介が:http://www1.ocn.ne.jp/~hain/