ぼーん・ふりーくす! (70)


 ほとんどの人は自力でコンプリートすることが不可能な面倒くさいゲームで、残念ながら僕も今回はギブアップして、1週目だけは自力、あとはセーブデータを拾ってきてからシーン回想で読んでいったので、ちょっと穴が空いている(ゲームシステムのひどさについては前にブログでちょろっと書いたので繰り返さない)。
 ストーリーはシンプルで物足りないくらいだったが、結局最後までウラシルの魅力は消えることはなかった。
 設定とかはまりすぎ。まがい物でありながら、体をめちゃめちゃにされて奇形化を受け入れながらも、健気に元気に走り回り、お兄ちゃん思いの明るい妹。狙いすぎとかそういう話ではなくて、そこにいて、こちらを見つめて待っているのだから、巻き込まれるしかないのだ。なんというパッケージイラスト。絵と声がはまりすぎ。Hの絵が可愛すぎ。蛍のように光るお尻とか!喘ぎ声の可愛さには決して飽きがこなかった。
 何だか頭の鈍い感想しか出てこなくて申し訳ないが、それでも今作における主題歌の素晴らしさは改めて強調しておきたい。真面目で悲壮な詞と疾走感溢れるメロディと脳ミソを痺れさせる甘い声。このバランスはゲーム自体のバランスとも似ている。そしてこの印象的な主題化が作品を常に引き締めているという点で、これほど主題歌の役割が大きい作品もあまりないと思う。
 どうでもいいツッコミを一つだけしておくと、フェニルやシノマなどの地の文の声付きパートはなくてもよかった。ウラシルも別になくてもよかった。アイデアとしてもそれほど面白くないし、声が雰囲気にあまり合っていないから。
 あと、作品とは関係ないけど、ウラシルと旅に出たい。現実の旅行は昔ヨーロッパを回ったりロシアを回ったりして旅行者という存在のゆがみを突きつけられたのでどっちかというとうんざりだが、自由な空想旅行は誰の邪魔にもならない。ささやかな現実逃避のために今日は通勤電車の中で李白の詩集をぱらぱらと読んでみたところ、風光明媚な中国の秋浦やら明鏡やら、仙人じみた感慨やら読むにつけ、そこにエロゲーヒロインの姿がちらついたり、エロゲーヒロインとの会話が挿入されたりして仕方なかった。19世紀のロマン派の詩人たちは感傷旅行というものをよくしたが、彼らもカフカースやトルコみたいな異国の自然や町を見つめながら、自分のヒロインを思い出していたわけで、まあエロゲーマーみたいなものだった。エロゲーでは硬くて美しい言葉があまり使われないので、漢詩で補給するのもいいかもと思った。何のオチにもなっていないが、そういう旅にウラシルを連れ出したいなと思った。