胡蝶

 久々に昔の友達から電話があって、ちょうど出張前だったので、最近の露都の話を聞かせてもらった。あとでメールを書いたら名前がエロゲーヒロインの方の字に変換されてしまった。「粗利」とかも「利」が末莉の莉になったり。
 昔いた町。勝手を忘れていたけど、ロシア人のプログラマーの人やスロヴァキア人のピアニストの人に助けてもらいながら、バスや地下鉄を乗り継いでホテルに到着。近くのCD屋のアニメコーナーには、メインはジブリ攻殻機動隊だけど、水色と君望のアニメもあった。テレビではケーブルチャンネルのMTVでウテナをやっている。


 ルビャンカやレーニン図書館といった懐かしい名前の地下鉄駅を通って会場へ。商談の方は我ながら胡散臭くてうまくいきそうな気があまりせず、重いカバンにクタクタになり、結局この日一番幸運だったと言ってしまいたいのが、カムチャッカの民俗舞踊を見られたこと。あの巨大な盾のような太鼓の単調なリズムと歌を背景に、ゆらゆらと揺れたりかもめの鳴き声を真似したりと、儀礼用のシャーマニックな踊りを鑑賞。
 それからさらにクタクタになって、帰りに聞いてた霜月はるかの声がやけに伸びやかに聞こえた。日本語も日本の空気もない環境で、不安と疲れの中で聞く霜月さんの声は素直に聞き入れる。日本ではなんとなくシニカルになってしまい、耳あたりはよいけど悪い意味で装飾的な歌ばかりだと思っていたのに不思議なもの。


 結局ここ数日は霜月はるかセカイ系な歌ばかり聞き、商談ばかりでろくに食事もとらず、ジュースとピロシキやシャウルマで凌いでいたら痩せてズボンがずり落ちだすという、昔のロシアや日本での学生時代みたいな生活に。最後の夜は我慢できずに本屋に立ち寄ったら、昔途中まで集めていた好きな詩人たちの全集やらが売っていて買い込んだ。他にもリーリャ・ブリークによるマヤコフスキーの「アレの話」の朗読CD、イーゴリ公軍記の19世紀から20世紀までの歴代の現代語訳の朗読CD、ジュコフスキーのバラードやロモノーソフのオードの朗読CDなども。ロシア以外ではレヴィ=ストロースの神話シリーズの2冊と悲しき熱帯。野生の思考の印象からすると日本語よりロシア語のほうが読みやすそうだし、安いし。本棚を見ていると、ここ1・2年でフランス哲学の翻訳や入門書が一気に出たらしい。フーコーはもう作品集が出ていたけど、ドゥルーズデリダボードリヤールも、みんな2006から2007年だった。店内にコンピュータの検索端末があったり、店員が探し物を聞いてきたり、満足度調査のアンケートをやってたり、らしかぬ感じだった。しかしこんな引きこもる気まんまんな本たちを買っても、会社をやめでもしないと読めないよなあ。
 けっこう買ったので心配だったが、案の定、空港で量ったらトランクが23.5kg、手鞄が8kgあった。いまだに仕組みがよく分からないのだが、今回はトランクの本を手鞄に移して20kgにしたら、手荷物も一緒に量られたけど超過料金は取られなかった。
 東京に着き、山手線の社内液晶CMの腹立たしくしゃれたセンスに毒気を抜かれ、ここ数日ほとんど摂っていなかった野菜を松屋で補給し、ネットをだらだら見たり溜まっていた新聞を読んだりしているうちに、北国の記憶はどこかへ遠のいていく。