超人になる女の子・・・元長柾木『荻浦嬢瑠璃は敗北しない』


荻浦嬢瑠璃は敗北しない

荻浦嬢瑠璃は敗北しない

(ネタバレ注意)


 作者自ら豪語するとおり、かなりの奇書になっている。『きみとぼくの壊れた世界』以来かも。未来にキスをからまた先に進んだというか、よく分からないけど、あのテーマをまだ捨てていなかったことがなんだか嬉しい。
 それと同時に、エロゲーラノベ界隈で真面目なことをやってみることの業の深さもさらに際立ってしまったように思った。「革命」「打倒」「批判」「勝利者の王国」「死の欲動」・・・この手の言葉は、人文系の学術書とかで語られればちょっとガマン汁が出ているもののとりあえず普通の言葉としてきちんと収まり、ラノベの地の文で語られれば「中二病」的なカッコイイファンタジー設定の言葉として軽薄に響き、宗教書的なところのある本書では、オウム真理教的な間の抜けたやばさを醸しだしてしまう。そうならないために『ツァラトゥストラはかく語りき』は周到にも旧約聖書詩篇の文体を借りているのに、本書はそういう文体(文化的なコンテクスト)の権力を無視して、未来派的に悪乗りしてかもしれないけど、オウム真理教の実践をやり直す。
 主人公の女の子が「メタテキスト」を読む能力を開花させ、革命家となる資格を得、超人となったとき、彼女の周りの人間が急速に二次元美少女風に容姿を変容させ、あたかもエロゲーの選択肢が出現して「振った」かのように相手を無力化することができる・・・エロゲー愛好者的にはニヤリとさせられる場面だし、未来にキスをで手をつけられ、『飛鳥井全死は間違えない』ではあまりよくわからなかった仕掛けがなるほどと腑に落ちてはきたけれど、エロゲーを知らない人・知っていてもエロゲーと「哲学」を結びつけることに興味のない人にとっては、異様というか異形というか腰砕けになってしまうだろう。壮大な革命を標榜しておきながら、なんとターゲットの狭いことか(笑)。
 だが僕個人にとっては切れ味のあるいい作品だ。エチカが倒され、何事もなかったかのように起き上がって、しかもなぜか異能を身につけて設定を全て悟っていたとき、この展開の作劇的なあまりの強引さにこれはキタと思った。中盤まではのろのろと話が進んで、これはこのままだらだらおしゃべりしていて終わっちゃうのかと思っていたけど、後半、作品の「核」が剥き出しになってくるにつれて文章も加速されていった。
 ここの細かい仕掛けについては、やっぱり両義的な印象。あまり知らないけど、革命云々をヒロインが真面目に語ると、40年前の学生運動や100年前の革命運動や130年前の『悪霊』の文脈が亡霊のように召還されてくるけど、他方では、ONEの初回特典やエロゲー的なヒロイン攻略のエピソードや未来にキスをの登場人物(悠歌さんでなくて残念!)やらが出てきたりする。かつて学生運動に身を投じた真面目な人と何度も議論を交わしたことがあるけど、彼らにはこんな組み合わせは言語道断であることは肌身で感じて知っている。本気の活動家にはいくら論理で迫っても無駄なのだ。おまえは口先だけで何もやらないじゃないか、行動の指針はレーニンに与えられている、後は弱者を救うために行動するだけなのだ、で打ち切られてしまう。
 現代において世界を物理的に革命することは無理で、ニーチェ的な超人になることしか無理で、超人になることとはエロゲーの主人公のような全能感を持って生きることであるというのならば、僕は毎日のようにパソコンを起動しながら超人になるための修練を積んでいたのか!それなのに実際にやっていたのはゴミ箱妊娠的な何かでしかなかった。なんという堕落!いや、実のところエロゲーに身を浸すようになってから自分のコミュニケーションのスタイルは少し変わり、おどけたり力を抜いて人と接する(怠け癖がついたともいうが)ことができるようになった気がするがそれはただの副産物だろう。
 尾崎は時代を感じる。今の時代に甦らせるとしたらこういう形でしか無理だろう。未来にキスをの舞台は確か1988年くらいだったはず。そうなると、本作の舞台が『飛鳥井全死は間違えない』の出た2005年なら霞や椎奈は35歳近くになっているはずだけど、それより7-8歳くらい若いらしいので、本作は1998年くらいのこととなる。ONEが発売された1998年ごろに本作のヒロインは7-9歳くらいだったというので、やはり本作は2005年くらいのことになるのかな?この辺のことは別にどうでもいいし、作者があとがきでいっている「個人的な美意識」に基づく「現実の改変」というやつなのだろうか。革命の始まりにしてエロゲーの始まりである紀元を、ONEの現れた1998年ごろにして、未スも1998年が舞台で1998年に一緒に出たことにする・・・まあ、なんでもいいです。
 未スでは他人との断絶という、どっちかというと個人的なことがテーマになっていたけど、本作では革命とかいうような広い話になっている。物理的な革命ではなくておのおのが超人になって生きるというようなことらしいのでそんなに変わったわけではないけど。滝本竜彦さんの超人計画は頓挫したらしい(よく分からないけど)。本作でも、超人たることが「精神」(「国是」より)に基づくものである以上、これは「自走性システム=社会」のように実体を持たないもので、ある日突然消えてしまったりしないのだろうか。紀元前3000年、5000年の人間でないのでよく分からない。僕は超人とは程遠い凡人だけど、今の社会の「空気」をあまりよく思っていないことはある。利益と不利益のどちらが大きいのかよく分からない。超人の王国なんてきたらどうなるんだろう。自発的な奴隷か・・・。
 それにしても、この先もこのジャンルでこのテーマを進めていくのは大変だろうなあ。元長さんを応援します。
 今なら『飛鳥井全死』の方ももっと分かりやすく読めるかもしれない。
 最後に書くことでもない一言。幼馴染の彩未とおっぱいのりなこのイラストがなかったのが残念だけど、萌えの欠片もない全死とちがって、本作の嬢瑠璃は真面目な女の子なのはポイント高い。高いよ。