円城塔『Boy's surface』

Boy’s Surface (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)

Boy’s Surface (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)

 恋愛がテーマといっても、この人の場合は概念とか関係性との対比をひたすら行うばかり。恋愛や世界が複雑なんだから小説も複雑になるのは当たり前といえば当たり前だ。そこで描かれる詩情自体は、レフラーの話にしろキャサリンの話にしろ、ゼブラガニやツチハンミョウの彼女にしろ、村上春樹あたりの印象に近くて、それほど新鮮な感じはない。
 その中で。一番女の子が出てきた最後の短編「Gernsback intersection」について、妄想気味な感想をば。
 未来とも過去となりうるような仮想的な場所があって、そこで二人はすれ違った。少女にとってはそこは過去で、未来ではヒューゴーという名前の男で、「花嫁」に一矢報いてやろうという決死の覚悟の指揮官。男にとってそこは未来で、過去ではアガートという名前の少女であり物理(?)学者の卵。アガートは仮想的な場所(彼女が理論的にあるとした場所)にヒューゴーを呼び出し、そこでの出会いの後(二人の宇宙が交差した後)、自分の宇宙でヒューゴーの決死の爆撃を受け、迎撃するためにフリゲートに乗り込む、という話。アガータという名の、自分の空想と恋に落ちる一人の少女の、セカイ系(ジクウ系?)的な妄想、と考えるとちょっと寂しげな感じがして萌える。未来からきた男との出会いによって自分の未来が開かれる、という入り口の無い閉じた構造が悲しい。その未来に辿り着くきっかけは実際はどこにあるか分からないから、「特異点」とされる。ただ、逆に特異点を通過すれば原因と結果が循環するような世界があり、彼我の区別も難しい、という事態が実際に起こってしまっているのがこの作品、と見たっていい。二人の生み出した(生み出すはずの)子供は「我輩はガーンズバックである。名前はまだない。」と名乗る。「先走りすぎだと言われるだろうか。まだ生まれてもいないくせに、物知り顔に嘘っぱちを並べて臆面もない。恥を知れって?勿論。機会があればそうさせてもらおう。だから当然、次は再び、両親のターン。我が懐かしき両親(ふたおや)の、まだ見ぬ思い出。」アガートかわいいよアガート。ア、ガー、タ。舌はいつまでも中空で待ちつづける。すみません。エピグラフに取られているヨハネの黙示録の箇所は「我はデルタなりエプシロンなり。途上なり。部分なり。」となっているが、正確には「我はアルファなりオメガなり。始めなり。終りなり。」 アガートにとって終りとなり始めとなるために書かれたこの作品。その美しい書き出しを引いて、感想終わりということで:

 奇蹟からしか始められないものがあるならば、奇蹟でしか終われないものがあっても構わない。最初から始まりっぱなしなので誰にも止めることはできなくて、こうしてただ続いていく。続き方にもいろいろあって、続き方さえ続いていく。
ガーンズバック
 立方体の一辺に腰掛けた少女が名乗る。真白い立方体の端に俯き気味に腰掛けて、両脚をぶらぶらさせている。