雑談

 ウォークマンを買い換えて曲を入れ直したついでに懐かしい歌を聴いてみたり。エロゲーのサントラとか同人CDとかも日本語のものは全て曲名とかをネットから拾ってくるのに改めて感心した。ただし、昔、といっても5年前とかだけど、大きな声では言えないけど自分でいろいろ試してゲームデータから苦労してBGMを吸い出して曲順を考えて曲と曲と間の間奏時間まで作って自分で満足できる自作サントラを作っていたころは楽しくて、そういうのは保存用に焼いたCDを引っ張り出してきてまた入れてみたり。セイレムの魔女たちとか懐かしい。あのゲームでは馬鹿みたいに幸せな思いをした。エンディングのキャラソンとか今でも聴けば癒されてしまう。あのアメリカはソナーニルのアメリカと違って広くて、ヒロインたちもその広さと若さを象徴しているかのように元気いっぱいで精一杯生きていた。あのゲームの雰囲気に自分がんであれほど魅かれたのか今でもよく分からない。ドラクエ的に「勇者」が冒険して幸せを手に入れる物語が子供の頃からの琴線に触れたのかもしれない。
 フォークロア歌手のビチェフスカヤのCDはご丁寧に日本語で誰かがCDのデータを作ったらしい。パステルナークの詩の朗読CDもロシア語ではデータが入っていた。セヴェリャーニンの詩も久々に聞いた。ソナーニルやシャルノスの時代にペテルブルクで大人気だった、このオスカー・ワイルドルー大柴を足して2で割ったような奇怪な自我未来派詩人。そのフランス語系の楽しくて悪趣味な脚韻を聞くと遠近感が狂う。多くのものは時間を経るとくすんだり褪色したりするけど、言葉だけは時々妙に直接的な生々しさを伝えることがあって冷やりとする。それが文字の場合は、昔のポップスのCDを久々に聴いたら(当たり前だが)声が変わってなくて気味が悪い感じがするのとは少し違って、記号が介在するから我慢できるのかもしれない。
 ヴィソツキーの歌も久々に聴いてみた。僕の語学力では聞き取れない言葉や辞書を引かないとわからない言葉だらけなのがやや残念。とはいえこれが一発で分かったらもう完全にロシア人だから、これはこれで安心していいのかもしれない。この力強さは圧倒的に他者のものだから。初めて聴いたときにキン肉マンみたいなダミ声にびびった自分の卑小さを痛感する。ヴィソツキーは俳優だったから特別だとしても、ロシアにいれば精神年齢は上がらざるを得ないのだろうなと思う。

「イジョッタ・ホッタ・ナ・ヴァルコフ、イジョッタ・ホタァー」