Love x Evolution (75)

 圧倒的に綺麗なグラフィックと心地よい環境音のおかげでただヒロインの千夏を眺めたりゆるんだ会話を聞いたり、気が向いたらいたしたりしているだけでかなりの快楽と安らぎと満足を得ることができるため、わざわざ好感度を下げたり意味のない作業をしたりしてこの快楽の流れを断ち切るのが厭で、結局攻略らしい攻略をせずに5割程度の進行率で止まったまま、時折気が向いたら起動してぼんやり眺めたりすることを繰り返し、最終的には降参と相成った。だがそれがまたある種の落とし穴で、快楽の流れを断ち切りたくないから厭なシーンや厭なEDは回避して100%化のセーブデータを落としてきて起動してみると、千夏が今まで自分が眺めたり愛でたりしてきた千夏とは別のヒロインにすり替わったしまったような錯覚が起きる。まあそれもしばらくいつものゆるんだ会話を流したりエッチシーンを確認したりするうちにある程度は薄れる。それでも、ズルをしてしまったという感覚がヒロインとの十全の一体感を得ることを邪魔するということに関しては取り返しはつかないわけで、僕がいわゆるゲーム性のあるゲームを苦手とする理由はこれだ。
 といっても、それ以外の部分で理想的な一体感が得られるような作品かというとそうでもなく、主人公が頭の悪そうなイケメンなので千夏とのバランスが悪かったり(甘あまの恋愛以外の要素に対応するための造詣らしい)、千夏の言葉にやはり少し赤ちゃん言葉が混じったりするところに、自分の個人的な属性と距離があることを確認できる。あと強いて注文をつけるなら、千夏の身体の質感がぶよぶよした脂肪の塊を思わせるところがあってやや病的な印象を与える。といってもつるぺたには断固反対だし、身体の豊満さ・やわらかさと健康的な美しさを両立させるためにはどういう解決の仕方があるのか見当つかない。既にこの段階でも美術館に展示できるほどの相当な美しさ(というのも変な言い方だが)を達成しているので、強いてつけるならの注文だけど。
 セーブデータを落としてまで終わりにして結局よかったのかというと、やはり自分では回収できなかったシーンにはとんでもなく美しいものやエロいものがあったのでよかったといわざるをえない。褒め言葉になるのか分からないけど、「正常位2」などはヨーロッパ映画的な美しさにまで到達していた。エロゲーのテレビアニメ化でグラフィックがさらに美しくなった例は見たことがないが、もし美しくする方向でアニメ化、というかさらには映画化するとしたらエッチシーンはこうなる。その意味では、この作品の続編が一向に出る気配がなく、出たとしてもヒロインの属性等は今後は王道から外れることを考えると、この作品がこの超美麗エロゲー路線の1つの記念碑的なものとみなしていいのかもしれない。以前にこの作者さんの作品をイーガン的な欲望の理想郷の具現に比したことがあるけど、その感覚はこの作品でも変わらない。半分はズルした自分への言い訳もあるけど、エロゲーフォーマットでの擬似性愛的な欲望の楽園はここに極まっているので、この作品はクリアすることを必要としない。その楽園の中に停止して、ただ千夏と身体を重ねたり無意味なおしゃべりをしたり風の音を聞いたりしているだけでいいし、それが一番いい楽しみ方なのだろう。