Clover Heart's (65)

 こうして美少女ゲームの感想を書くのもこれで200作目だそうだ。この世界を知ったのは確かFate/stay nightが出た10年前の冬だが、思えば遠くまで来たものだ。今ではもう、2ちゃんねるのいろんな属性スレを見て勉強することも、秋葉原紙風船ソフマップを歩き回って宝探しをすることも、残念ながらほとんどなくなってしまったが、Erogame Scapeでいろんな方の感想を読むことは続いている。300本目を書くことがあるとすれば、おそらく10年後くらいだろう。
 中古屋に通い始めた10年前の時点ですでに、Clover Heart'sは安い割にはそこそこ評判のよいエロゲーだったと記憶しているが、泣きゲーやシナリオゲーとしての評価を期待できなければ基本的にスルーしていた当時の自分は、なんとなく気にはしていたけど特にとがったところもなさそうなので後回しにしていた。その後、自分のエロゲーの楽しみ方は広がっていった(単にスケベ心に歯止めがなくなっていっただけなのかもしれない)。今回、ロシア系の女の子がヒロインのゲームだと教えていただいてそういえばと思い出して、しかもブロークの詩を朗読するシーンがあるのだという。さらに見てみるとヒロインの苗字がおそらく偶然だろうけどロシアと関係がないともいえない「御子柴」となっている。そうした些細なことでいいのだろう、女の子に興味を持つきっかけは(むっつりの発想)。実際、僕が不注意だったのか、ブロークの詩を読むシーンがあったかどうか気がつかなかったのだけど、作品は楽しめた。ロシア要素がイントネーションの怪しい「ジェットマローズ」といかにもなマフィア・アクション的展開くらいしかなかったとしても、双子姉妹の部屋の落ち着いた内装とか、並んでいる本の背表紙の色の渋さとか、莉織の性格の落ち着いていて頑固なところとか、玲亜の感情を抑えないところとか、関係ないかもしれないところに都合よく好ましい「ロシア」の影を見つけてしまえるのだ。言葉の意味と音の結びつきが恣意的でありながらも歴史に縛られているように、僕は僕だけのために見たいものを恣意的に並べることを積み重ねていく。そんな当たり前のことを欲望という言い訳の出来ないところで続けてきた10年間だった。
 欲望というのは不思議なもので、快楽の総和が作品の価値にそのままつながるのだとしたら、本作は余計なことばかりしている的外れな作品ということになる。つまり、「選択の責任」というテーマをどんな風に扱うべきなのだろうかということであり、三角関係の重苦しい話を現実だったらそうなるようにいかにも重苦しく描くのは、メロドラマ的後退であってそんな暑苦しい説教は君が望む永遠だけにしてくれ、フィクションはフィクションらしい快美に徹底し、現実を模倣するような惨めなことはしないでくれという問題である(ただし現実でそんな三角関係に悩まされることがあるかどうかは別の話)。また、ロシアはロシアという現実を表すためだけの奴隷的な記号なのではなく、ある理想を表すための自由な象徴なのだと考えれば、作中のロシアをめぐる表象が厳密かどうかは些事といえる。しかし、僕の嫌いな説教がなければこの作品はもっとよくなったかというと、よく分からない。莉織や玲亜だけでなく、円華もちまりも魅力的だった。男キャラは妙に幼稚なのばかりでまいったが、女の子たちはみな天使である。そしてその魅力は、必ずしも快楽の場面で発揮されていたとは限らないのだ。円華のしっとりした女性らしさと柔らかさには抗いがたいものがあったし、同じものが玲亜においてはヒステリックな痛みになり、その痛みを乗り越えたやさしさになった(それぞれ声優さんの演技が素晴らしかった)。ちまりの喜んだり苦しんだりする様子や、莉織が必死にすがりついたり手にした幸せを噛みしめる様子にも一喜一憂した(やはり声優さんが好演)。秋から冬にかけての薄くなっていく空気の感覚とも、消えてしまうかもしれない温もりを惜しむような音楽ともよくあっていたと思う。蛇足ながら付け加えると、ヒロインたちの控えめな体型も寒い季節の情感と合っており、ロリとは未来の開花を秘めた若さだけではなく、減衰におびえる儚い温もりでもあるのだなあと実感。
 この辺りのよく分からないぐだぐだは、僕が問題を混同しているだけなのかもしれない。それに、いいものを見た、でもそれはいいメロドラマを見たというのと同じなのではないか、結局お前にとって何の意味があるんだ、と似非賢者的に突っ込むことも出来るのかもしれない。そんな風に問を立ててスパッと答えてしまっていいものかはよく分からないけど、一期一会でお世話になった作品については、可能ならせめてそのときにぐだぐだと考えたことを書き出すくらいのことはしておいたほうがいいだろう。(ついでだが、図書室で不思議な本を手にとって莉織と夷月が入れ替わる幻想のエピソードは何だったのだろう。) すごい作品に出会って驚くのはもちろん素晴らしいけど、こんな風にゆるめの作品に出会って阿呆な自分に突っ込みつつ楽しむ余裕を持てるなら、それもまたありがたいことなのだから。