ギャングスタ・リパブリカ (80)

 僕らの欲望を巻き取る戦闘美少女たち。一見すると未来にキスをの地点から後退したようで面倒にも思われるが、エロゲーにおいて悪をやろうとすると、かえって見かけは真っ当になるということか。
 まずは第2部の論戦を中心に各ヒロインに関して。
 ゆとりは、自らは動かずとも王としての資質で自然と人を動かすというキャラクターなため、人と言い合いをして言い負かすという論戦には向いておらず、その意味で不憫な役回りだった。本人の言葉で見せるということがしにくい。自分個人で物事を切り開いていこうという独立心に乏しく、論戦では相手の痛いところに付け込む憎まれ役を演じていたので共感しにくい。ゆとりの魅力は、それでもいいから、策略でも何でも張り巡らせ、使える武器は総動員して実は必死に求めていたというところなのだろう。彼女にとって「悪」とは、軽はずみでゆるふわな自分の欠点を武器に転じるための、起死回生の手段だった。きれいな声も髪もスタイルも、しかるべき条件を整えないと機能しない(僕としてはゆとり先輩の立ち絵の完成度の高さで購入が確定したところもあるが)。そうした優雅な外面と退路のない危なっかしさが、実はシジフォス症候群という病気による静かな孤独を抱えるものだったとまあエロゲー的な展開で明らかにされたとき、彼女は実は王者などではなく、ごく短いループ周期しか持たず、しかもそれを延々と繰り返さねばならない弱者中の弱者であることが分かる。ギャング部をつくるまでの経緯や純粋に進むものとしての悪への思い入れ、他のヒロインとの論戦での主張にも意味が通ってくる。

「共有できるのは気持ちだけ。それ以上のことをして、本当に幸せをてにいれらるの?」「仲間はね・・・・・・仲間だっていうだけで、価値があるの。仲間は、みんなの幸せより大事なことなんだよ」「仲間そのものが滅びたとしても、仲間を大事にするべきなの。大事にするということは、ただ生きてるということより大きなことだから」「それをおろそかにしたら、世界そのものが成り立たなくなる。救うとか滅ぼすとか以前の、前提なの」「仲間は、世界の基礎なの」「私情こそが前提だよ。もう私のいってることは分かるでしょ?」

 こおりはこおりで仲間意識が強い子だが、自分に自信がないから、「叶を好きな自分に自信が持てないから、正直ならないで、否定して、怒ったり照れたりみたいな反応してないと、不安で自分が保てなくなる」という愛しくも面倒な女の子であり(夏野こおりさんはやはり強気口調よりは不安口調がうまい)、彼女の不安は論戦を通じて露呈するばかりで、時にそれはエヴァ26話のようないわゆる自己啓発セミナー的な自己否定とそれに対する抵抗をこじらせていき、もう叶による承認なしにはどうにもできないところまで進退窮まる。自分の欠点がよく見えるということは他人の欠点もよく見えるということで、論戦で食ってかかっては自分が傷つくのを見るのは痛ましい。論戦というよりは普通に女子のヒステリックな口喧嘩になってしまう。「背負っているもの」がないから……。直言して周囲から浮くのを恐れる心も、本当は直言など出来ない自分であることも、捨てることができないというガラクタ。「叶はいつも……まぶしいね。いつも、前向きで、一生懸命で、逃げなくって。あたしのは、見せかけだから」。不安は憎しみを生み出す。委員長キャラであり、一番しっかり屋であるはずの彼女が、不安と憎しみの完全な解消を夢見て、つまり対立と選択のない世界、ループのないハーレムの世界に加わり、さらには世界の完全なループ構造化による「誰も溺れない」世界を目指すというのは鮮やかな転倒である。「人がして欲しいと思うことをする」ギャングに似つかわしい世界が実現したら僕たちはどうなってしまうのかよく分からないが、その夢は共有してみたい。
 昔まおゆうが話題になったときに、大審問官伝説を萌え化したものを見てみたいと思ったことがあったが、シナリオはそれに近い切実さが感じられた。人間社会の理想的な運営形態はこれまで幾度も提案されてきたけど、それをどれだけ自分のものとして内面化できるかがその強度を測るひとつの物差しになる。禊には、他を切り捨ててほとんどそこだけを先鋭化させていることによる悲壮感があり、周りからずれすぎていることからくる滑稽さや可愛さは時に疲労感を催させる域に達する。彼女の覚悟の程を受け止めないままに信頼を得て、その信頼に応えられないとき、彼女の正義感が矛先を自分に向けるのならばまだマシ(?)だが、それがこちらに向けば、彼女は裁判官となって僕を裁く。ヤンデレ(あるいはヤンギレ)になる。他のものを削ぎ落とした一種の機械なので、いかなる犠牲も倦むことも知らない、恐ろしくて鬱陶しいものになるはずだ。作中ではその辺はうまく見せられていて、禊の矛先は主人公ではなく自分や論戦相手に向けられる。彼女の見る世界に個人はなく、信頼のない最低限の人間関係で成り立っており、その風景は荒涼としている。そこから勇気を出して踏み出すために舞った神楽が、さしたる盛り上がりも(叶の語りには)見せず、淡々として厳粛だったのはよかった。彼女はそこからさらに一歩進む。

「叶だけが分かってくれたから好きだった、というのが本当だったのか、自信がなくなっている。あまりに叶がバカだから、おろかだから、救世主ということが分かっていないから、みっともないけど言うしかない」「私は、恋人として扱って欲しかった。叶は私を選んだ。けれど、私はただの道具か?それならそれでいい。私の考えが甘かったということ」「嘘ではない?ごまかしじゃない?その場しのぎじゃない?じゃあ、証明して欲しい。はっきりと、事実で。救世主であるために、愛されることが必要だと知って欲しい。私と同じ高みに立ったのであれば、私を対等の恋人として扱うことが必要。共に統治するものとしての、覚悟が必要。叶はいつも認識が甘い。思いやればいいと思ってる。優しくすればいいと思ってる。違う。私を満たして欲しい」

…何とも重苦しい話だ。こんなに格好の悪い告白があるだろうか。そしてこれを女の子に言わせている自分の格好悪さ。誰が悪いというわけではない。誰かを非難すればいいというわけではない。だからこれは二人の間だけでのこと、密約である。その格好の悪さが、二人が歩む悪の道には必要になる。
 この二人を支える形で皆が共有ループに入ったことがこの作品の基本構造を生み出したとのことだが、ループからの抜け道を示して終わるこの歴史シナリオと、ループできない自分がこおりと結ばれる夢を示して終わった構造シナリオと、2通りの定位の仕方が示されているのが面白い(という理解でいいのか自信ないが)。
 最後に。希は論戦という表現形式に最もふさわしい性格の女の子で、勇ましいちびの女の子で、人とぶつかる中で彼女の誇り高さが開示されていって見ていて気持ちがよい。歯切れのよさは泉水小夜(明日君)に劣らず、思わず頷きたくなる言葉も多い。あじ秋刀魚さんのちびっこ声も自信に満ちていてよい。

「横暴といっても、ただの暴力じゃない、誇りに裏打ちされた自由だ。それがぶつかり合うところには、自然と相互の抑止が働く」「怒るべきときに怒らないのが負けだ」「すべての価値は、面白さから発生している。私が原理を重視するのは、それが価値を生むからだ。目的達成のためじゃない。価値とは原理的志向から生まれるものだ」「学究の世界とは、子供の世界だ」「一人の直感は、たとえそれが高水準だとしても、しょせんは有限だ。多くの人間の知恵の集積に勝るものではない。その集積こそが、学問的知識だ」「私は、覚悟のあるものを評価する」

それでも彼女の望む論戦の場は、その土俵は、彼女を取り巻く世界のほんの一部でしかなく、だから彼女は常に喧嘩腰で世界と対峙しなければならない。自分のあり方に歪みがあることを知っているからこそ、お兄ちゃんにもリスクを共有してほしい。自分も、叶の見るバカバカしい世界を共有したい。叶に肩車されてはしゃぎ、涙をにじませて逃避行の夢を語る希にほろりとさせられる。


 恋愛物語に論戦は特に必要ではない。メタフィクションとしての構造を支えるためのささやかな仕掛けをのぞけば、本作では、ヒロインとの物語らしい物語がない代わりに論戦が突出してある。プロップの物語論的なマッチポンプの代わりに、古代ギリシアの哲学対話風の無時間的に張り詰めたぶつかりあいがある。どのヒロインも自分なりの主張を持っているが、それは個人の立場であるからこそ、個人的に別の基盤を持つ他人とは相容れない部分があり、幸せを手に入れるために自分の全人格を賭けた主張になる。誰も絶対的に正しい者はおらず、ヒロインを選ぶ選択肢は正しいから選ぶのではなく、寄り添いたいと思うから選ぶことになる。悪というのは、そのような選択の正しくなさに対する言い訳であり、照れなのだろう。普通、人は他人に見せたい部分、あるいは少なくとも見られても問題のないと思っている部分を外に出しているのであり、子供のような天真爛漫キャラででもない限り、腹を割って話して人にぶつかっていけば、そのうちに決まり悪い部分が出てくる。そういうことで傷つきたくないから、傷つくのに疲れたから、僕のようなダメ人間は退却するのであり、そうした人間にとって心地よいのが、そうした決まり悪さをきれいな恋愛によって塗り替えてくれるエロゲーなのだが、何でこんなことになっているのか。人のトラウマを抉ろうというのか。といいたいところだが、そうではなく反対に、人のトラウマを解消するための告白の手続きなのだろう。少なくとも作品の射程範囲内では。彼女たちの抱える問題がファンタジーを欠いた切実なものであればあるほど、そばまで近づける気がする。その先にいつかは、アホ毛が立ってループから抜けるようなこともあるのかもしれない。