石川博品『ヴァンパイア・サマータイム』

 確かネルリが出たときに、こんなマニアックな設定ではなくてもっと普通の高校生の学園恋愛物が読んでみたい、みたいな声がちらほらあった気がするが、その答えがこれなのか。これまでの作品(と言っても2作くらいしかないが)ではうまく抑制されていた恋愛のドキドキ感の描写が今回は全開。直球すぎて甘ったるくて、代わりにユーモアは控えめ、という意味では親しみにくいデザインになっているのだろうけど、その代わりに夏を描く上で必要な皮膚感覚的な季節感や時間感覚にじっくり集中することが出来るのだろう。というわけで、今回もまたテーマと文体が調和がうまくて、ストーリー的に小さくまとまったけどおもしろかった。
 中学生になって初めて中間テストというものがあって、確かはじめは自宅でのテスト勉強期間の勉強予定表というものを作って先生に提出して、それに沿って勉強していたと思う。6年間、テスト勉強やテストというものを好きになったことは決してなく、優等生の成績を維持しなければというキャラクターとしての自分を第三者的に見ることはできなかったけど、周りから期待されていると過剰に思い込んで勝手にプレッシャーを感じていたので、特にスポーツや人柄や頭の回転で優れていたわけではない自分にとっては、定期テストというのは毎回自分のアイデンティティを危機にさらす不安の行事だったと今なら分かる。自分で立てた勉強予定表もまじめに守ることが一番の関心事になったし、昼寝を含む睡眠を予定通りに取れないと不安が膨らんだ。優等生といっても、テストを解きながら余裕を感じたことなどなかった。テストは僕のアイデンティティを突き崩そうとする不安で不気味なものだったし、大抵は何問か回答に自信のない問題が混ざっていたし、ケアレスミスで恥をかく可能性だってあった。テスト返却の時間は努力が報われるべき時間のはずだったが、さすがに100点満点ばかりを取れるわけではないし、僕を危機にさらす正体不明のモンスターを完全に滅却したわけではなく、一時的に見えなくしただけなので、不安が消えることはなかった。それに僕が過剰に感じていた周囲の期待というものは、実際は僕のキャラクターをめぐるものではあっても内面にまで忖度するようなものではなかった。サッカー部に学年トップがいるというのはそれだけでひとつのキャラクターだったが、それだけだった。学校やら何やらが標榜する文武両道の建前を生真面目に守ろうとすることに精一杯で、そのキャラクターを受身に引き受けていたが、それに淫することはあっても積極的に引き受けていく余裕はなかった。当然、周りの人が不安を解消してくれるようなこともなかった。よくこれで禿げなかったものだが、こんなことでいちいち禿げていたら他の人達に失礼というものだろう。それほどに僕の不安というのは一般にはちっぽけな問題だったのだ。
 こういう不安を感じていた頃の空気を読んでいて思い出した小説だった。不安はその後も、大学に入って、ロシアにはまって、エロゲーにはまって、就職して、転職して、という中でも続いていったけど、社会的自立というものを考えなくてもよかった中学・高校の頃がやはりちっぽけながらも一番純粋な原点だったのかもしれない。吊橋効果というのとはちょっと違うのかもしれないが、そういう不安の中で生きていたからこそ、当時の季節感や恋といった贅沢なものの記憶は今も残る。それは必ずしも愉快なものではなく、むしろ不快だったり不協和音にまみれていたりするが、残るものは残ってしまうのだ。
 夜に活動することの不安。夜の活動はどんな社会においてもどこかイレギュラーなものだ。ヴァンパイアの社会という設定はその不安を解体するための装置であり、その社会の中で当たり前に生きるヴァンパイアの女の子との恋愛は、本来消えるはずのない不安を消すことが出来る魅惑に満ちている。その未知の魅惑は期待と不安に満ちたものであり、反対に、彼女から見た昼の世界というのも同様で、明るさが不安や滅びの感覚につながるというのは夜の世界の魅力に惹かれる視点にとってはまた面白い。暗くて狭い空間や暗くて広い空間を、夜の日常の側から描くというのも面白い。レールモントフが描くような夜の孤独とはまた別の風景なのだろう。主人公とヒロインの二人とも特殊な能力や才能を持たないながら、対称的な時間軸を挟んで不安が二人を近づける。時間物というジャンルは、ループとかSF的な時間の彼方とかがポピュラーとは思うが、こんな風に毎日繰り返される日常の中にも見出されてしまう。ラノベ的な奇想を介してではあるけど、こんな風にテーマを掬い上げるのはうまいものだ。