明日の君と逢うために:あさひ

 かけあいがいまいちで話もなかなか盛り上がらないのでどうしようかと思っていたら、設定に仕掛けあったようで、そのまま肝心なところは設定というか物語外の部分に投げたまま終わってしまった。物語としては中途半端印象で、それを想像力で補うかどうかは読者の自由という感じか。出会いと別れとか成長とかいうような通常の動機付けというよりは、もっと漠然とした自分の存在の不安とか違和感が主題となっていて、そのプリズムを通して見ないとあさひの見ていた世界が見えてこないという回りくどさ。シナリオを通してあさひは多分そんなに成長していないし、彼女を大人か子供かで区分することにはあまり意味がなさそう。もし成長したのだとすれば、主人公と一緒になったエピローグ以降の世界で何か新しいものが始まるということなのだろうけど、その描写はすっぽり抜けている。プレイヤーに残されたのは、あさひが半ば無意識的に夢中で自分の周りに築いてきた、どこか夢のように歪で偏った、でも楽しい世界の記憶だけで、それは決して隠されてはいなかったけど、主人公にだけ明かされたあさひの秘密だ。
 演劇というのは言葉だけでは伝達できない部分を持つ、卑怯な芸術だ。役者自身は何を隠し立てすることがなくても、役者と観客が分離されてしまっていたら両者の間の溝は決定的で、役者は秘密を墓まで持っていってしまう。役者を自己完結させないためには、昔のギリシャの演劇がそうであったように、観客も上演に加わり、劇自体は誰とも知れない「神様」に捧げられるものにならなければいけないのだろう。その「神様」がりんなのかそれともかつてのあさひ自身なのかは別として、あさひルートはそこに至るまでのプロローグ的な部分だったように思う。別に人には役者であること以外の生き方がないなんてことはないのだろうけど、その善悪を問うても仕方ないレベルであさひは乾いてしまっており、主人公がそれに付き合っていくことに決めたのなら、後は彼女と一緒に手探りでその夢の中を生きていくしかない。僕の想像力が貧困なせいか、なんだか何も解決しないまま一方的に巻き込まれただけのような気もするが、この先彼女の夢に包まれてその手触りを感じながら生きていくというのは、「えっち」で幸せなことなのだろう。それが出来るのは相手がどこかつかみどころのない雰囲気を持つあさひだからなのだろう。