妹スパイラル (70)

 ノイズが多すぎるこの世界から撤退したい。そのために働いて元手を作り、仕事を辞めて、引きこもれる準備をした。妹を迎え入れるのだ。実妹感が足りないことが欠点と見られる場合もあるのかもしれないが、実妹感を出すようなエピソードをいちいち作っていたら、「妹を迎え入れるのだ」という魂の高揚が望めなくなるのでこれでよい。妹が想像上の生き物である人間にとっては、それは恋人になるという面倒な儀式を経ずして実質的に恋人に匹敵するほどの距離まで近づくことを許す、魔法のような記号なのだ。そのように欲望の暴走を受け止めるのが妹という装置である。妹はあくまで潜在的な恋人であり、積極的に恋人にするものではなく、何かに巻き込まれて気がついたら恋人になってしまったという展開を装備しているものだが、その際にできるだけ何物にも邪魔されず、純粋に妹とだけドタバタできるのが理想的である。本作には主人公と妹の閉鎖空間の外で生活するようなサブキャラの立ち絵がなく(妖精はキャラというよりは設定やツールの意味合いがある存在なのでノイズ感が薄い)、かといって妹と二人っきりで息苦しいということもなく(螺旋は反復ではない)、一であり多でもある妹たちという、観念的でありつつも身体性も兼ね備えた存在と気兼ねなく戯れることができるというのがまことによろしい。妹が沢山出てくる作品というのは有名なアニメもある伝統的なジャンルなのだろうが、個人的にはおそらく今回が初めてで、ここまで純度の高い妹ゲーを楽しめたのはありがたいことだった。


 プレイの合間の居眠りで見た夢の中で、水墨画の世界のような人里はなれた山奥で原始人の集落のようなものがあって、よく見ると男は一人、あとは全員似たような顔の女ばかりで、男と女たちは猿のように機械的にまぐわっているのだが、その顔には表情も知性のかけらもまったくなくて、近親相姦のタブーをイメージ化したような悪夢だった(昔読んだ火の鳥か何かを思い出した)。現実のお兄ちゃんが見るのはバッドエンドの夢なのだ。本作の妹たちは表情豊かな安全設計である。だからこそ危険なのだなどと野暮は言うまい。閉塞感を躍起になって否定するかのように、というよりは欲望の手綱を手放した結果なのかもしれないが、神社に始まり水中や空中、宇宙や月面、さらには火山やサイバー空間まで所狭しと駆け回ってエッチする。この子供っぽい身体感覚による世界の認識の仕方を、妹は許容してくれる。


 妹たちとの物語の印象については、いつもながら全部がぐちゃぐちゃになってしまっているので書くのはやめておこう。もうちょっとさくさく進めていたら感想が分解して消えてしまうようなことはなかったのかもしれないが、ちょっとずつ進めていると言葉が残りにくい。残っているのは妹たちの声と表情ばかり。エロでは特に睦土美と凛火が強力で、可愛さでは霞空と千風悠が素晴らしかった。妹という記号の最小値から始まった妹が、恋人として受肉していきつつも、そのことで妹性が弱まるどころかかえって強まっていく。その矛盾が描く軌跡が螺旋だったりして。




 最後に妹幻想に関するおまけを一つ。パステルナークの詩集『わが妹、命』(1922年)の表題の詩を訳してみた(残念ながら、音韻の仕掛けはすべて諦めた散文訳)。革命の起きた1917年春の列車が舞台で、妹を人生(命)に、命(春の自然の生命力)を妹に喩えている。日本語だと工藤訳(『わが妹人生』)があるが、直訳過ぎて意味不明な箇所が多いので自分で訳してみたが、やっぱり分かりにくくなった。



わが妹は命 今日も誰彼かまわずみんなに
春の雨を盛んに浴びせかけた。
でも周りは ブローチをつけた行儀よい面々、
カラス麦に隠れた蛇のように 慇懃な牙で嚙み返す。


彼ら年長者たちにも一理ある。
当然ながら、お前の言い分はバカらしい。
雷に照らされると 目も芝生もライラック色になるだとか
地平線は 木犀草の生の匂いがするだとか。


五月のカムィシンスカヤ線の
揺れる寝台車の中で 読む時刻表は
埃と嵐で黒くなったカナッペよりも
聖書よりも 立派に見えるだとか。


列車が吠え立て ブレーキをかけて止まったので見ると
田舎のワインにどっぷり浸かった のんびり暮らしの農民たちで、
そろそろ降りる駅かなと あちこちの寝台から頭が起きて
沈む夕日が 僕を外へと誘惑するだとか。


出発の第三ベルが 水を跳ね上げて泳ぎ去る。
ここではなくて残念と 謝って回りながら。
カーテンの向こうでは 火のついた夜が飛んでいき
草原が階段から 星へ向かって崩れ落ちる。


時おりピクリピクリと動きながら みな安らかに眠っている。
妖精に愛されたわが妹も タラップで跳ね回り
草原に向けて 扉の音を振りまきながら
心臓のように眠っている。



Сестра моя - жизнь и сегодня в разливе
Расшиблась весенним дождем обо всех,
Но люди в брелоках высоко брюзгливы
И вежливо жалят, как змеи в овсе.


У старших на это свои есть резоны.
Бесспорно, бесспорно смешон твой резон,
Что в грозу лиловы глаза и газоны
И пахнет сырой резедой горизонт.


Что в мае, когда поездов расписанье
Камышинской веткой читаешь в купе,
Оно грандиозней святого писанья
И черных от пыли и бурь канапе.


Что только нарвется, разлаявшись, тормоз
На мирных сельчан в захолустном вине,
С матрацев глядят, не моя ли платформа,
И солнце, садясь, соболезнует мне.


И в третий плеснув, уплывает звоночек
Сплошным извиненьем: жалею, не здесь.
Под шторку несет обгорающей ночью
И рушится степь со ступенек к звезде.


Мигая, моргая, но спят где-то сладко,
И фата-морганой любимая спит
Тем часом, как сердце, плеща по площадкам,
Вагонными дверцами сыплет в степи.