俺たちに翼はない (80)

 今日もサゲサゲでいくよー!コンバンワ!


 「世界」なんて言うと大仰だけど、代わりに適当な言葉を探せるような若さがいつのまにかなくなっていて、その世界が平和でもないこと(自分にとって正しく回っていない、正しく振舞ったつもりでも正しい結果が伴わない)に気づいていて、正直なところなんかいろいろとどうでもよくなってきてるんですよね。こんな風に年食ってからもダラダラ言うのはかっこ悪いってことは分かっているけど、まだしばらくは大人になれそうもない気がする。どうでもよくなってきているっていうことは、生きるための指針みたいなのがないわけで、何かがあったときの踏ん張りが利かず、生きることが周りに流されながらの撤退戦みたいなものになってしまうんですよね。指針は自分で定めるべきものなのに、外から与えられるものなのだと勘違いしていたのがいけなかったんでしょう。
 そんな暗い話ではなかったはずだけど、この作品の登場人物たちは、ヒロインたちも含めて、そういうふうに底が抜けてしまったところから始めたような気がする。何かに裏切られて、もうどうでもよくなったみたいな。それでも何もしないわけにはいかないから何かしてるわけで、場当たり的にもがいているからかキャラが濃くなっていってて、そういう濃いキャラ同士のぶつかり合いは楽しいけど刹那的で、結局そんな現実をどう受け止めたらいいか分からないわけです。みんながんばってて、押しが強くて、楽しんでいるのに、自分の目指しているらしいものになかなか辿り着けない。自分の言葉も人の言葉も信じられず、ただ気休めに「世界が平和でありますように」と唱えるしかない。
 楽しい話のはずなのにこんな感想しか出てこないのは何でだろうと考えてみると、やはりこの話の「メルヘン」としてのあり方のせいなのかなということになる。メルヘンの分際で、作品が作品の世界の中で完結しておらず、言葉やイメージの力を使ってその外まで侵略してきて、僕の場所まで荒らしたあとで撤退し、完結する。メタゲーとは違って論理的な干渉ではなく感染的な干渉なので、言葉にしにくい「もっていかれた」感と共に残される。鷹志や鷲介や隼人の話のようなことなんて、現実には自分とはほとんど無関係のはずなのに、それでも今の自分の性格とかを振り返ってみて、わずかでも「あんなこともありえたかも」と感じてしまったからダメ。そこに救いを探してしまう。自分など狂夜に頭をなでてもらうにも値しないような存在なのに。
 ヒロインたちには現実感がない。それは描写が下手とかそういうことなのではなくて、ゲームを終えても終わるのはゲームだけだから。グレタガルドは終わっても、僕の生活はそれほど明るくなったりはしていない。それならせめてゲームのほうだけでも綺麗に終わってくれたことに安心しなくちゃいけないのかもしれない。そしてそういう意識を抱かせるからこそ、逃避ではなくて何かを持ち帰れた探索だったのかも。