バラエティ番組

 久々、もう一年ぶりくらいだろうか、にバラエティ番組を長時間見た。話題になった爆笑問題とやらのと松本人志が出てたやつ。テレビスタジオという狭い所に集められた芸能人たちが必死になって働きながら自分をすり減らしていくのを見る。僕は働く社会人ではないのであまりストレス解消にならないし、カタルシスみたいなのもない。芸能人たちの顔や間合いは、エロゲーや小説などの絵や文字に比べて情報量がとても多く、しかも別にたいした情報ではなく、作品としての完成度も低い。絵や文字はあらかじめ詰め込める情報が少ないので、それを受け止める側が補うことができ、それが「自我が無限に拡大していく近代人」(@最果てのイマだったか)の個室である「自分の世界」を安定させる。人間関係の幅が狭かった前近代の人も、狭い空間で自分や相手をすり減らせることがなかったのだから、現代のオタク的な疲弊は前近代への回帰なのかもしれない。未完成で人間的なもの万歳というのが人文主義。非人間的に自分の空間に閉じこもって人間以外のものを相手にながら、ごくたまにエロゲーレベルのスローペースで濃い出会いをしつつ生きていきたい。・・・僕は文系のはずなのにいつの間にか理系的な感性が強くなってるんでしょうか。理系の技能はないくせに。それともただの似非ハードボイルドでしょうか。つまらない言い方になるけど、ヘタレっつうのが一番か。そうだとしたら、ヘタレというのは素敵な生き方ということになるな。技能がないので営業職、つまりいわゆる人と接することが好きな人の仕事、に就く羽目になる可能性もあるのだが、そのときはできるだけパフォーマティヴではなくコンスタティヴなやり方で済むようにしたい。接するのは人ではなく客。自分も人ではなく売り手。自分の大切なところは仕事のためではなく自分のためにとっておきたい。自分の世界のために。こんな青臭いこと言ってて就職できるんですかね。