素晴らしき日々雑感 音のあるところ (Which dreamed it〜)

 羽咲の話。由岐の話。彼女たちにも幸せな時間があったことが分かって話が収束していく。子供ころ、田舎の空気、とくればそれが遠いものであればあるほど、遠近感が狂ったかのように鮮明に感じられる。子供のころはいろいろと邪魔なものがないので、善意も悪意もさまざまな感覚も、たぶんダイレクトに届くのだろう。二次元のフィクションの中のさらに子供時代の混乱した記憶の中の夏の光や風や空や花畑やヒロインたちの声の感覚に根源的ななつかしさを感じるというのはおかしなことのはずだけど、今の自分に必要な記憶を補填してくれるのだろう。その意味では記憶なんて必要なときに後付で再構成されるわけで、時系列や整合性にこだわっても仕方がない。非道な皆守が実は素直な正義漢だったとしてもそのことで彼が完全に許されるというわけでもない。見方によってはハッピーエンドも救いではなく、主人公たちの苦しみや他の幸せを否定する偽りになる。自分の感覚に正直になろうとしたら、いくつものルートの中から自分の気に入ったものを選ぶのではなく、一つの帰結を見ながら他の世界の存在を意識するというやり方しかないとうのは、僕の頭にも僕が認識しようとするもののほうにも欠陥があるからなのだろう。そんなことを一人でしょうもなくこね回しているだけなら害はない。でも、自然に生きていれば不幸になどなりっこないはずの人間がこんな暗い悲劇に巻き込まれるのはなぜなのか。やはり整合性で説明すべきことなのではなく、何かの必要に応じてということなのか。神はすべてに先立って存在するのではなく必要に応じて呼び出されるものなのか、でもどうせ人間には分からないことなら気にしてもしょうがない、意味とは後付されることのあるものであってそもそも意味がないものもあるのではないか、という古臭い問い。意味もなく襲ってくる不幸に人間は耐えられないかもしれない。そこに巻き込まれた母親から始まって連鎖した物語なのだとしたら、それを断ち切ることが結末になるのは正しい進み方なのだろう。そしてそれを認めたらざくろや希実香は何のために生きていたのか分からなくなる。人を個人としてみるのではなく、彼女たちを含めた世界の全体の一部として見なくてはならなくなる。でも世界を外側から眺めることが不可能という命題がある限りそれも片手落ち。頭が悪いので堂々巡りになってしまった。その都度立ち止まって考えてみるしかないのだろう。連鎖を断ち切ったからといってそれで納得して終わりというわけじゃないから。
 恥ずかしい副題をつけてナイーブな妄言ばかり書いてきたけどとりあえず終わり。読み返すのが怖い。クライマックスの配置が時系列を転倒させたように配置されているところがあるので、また今から始めからやり直したらいろいろ感慨深そう(けっこう疲れそうだが)。終わらせたくないけど終わってしまうのはどうしようもない。こればかりは仕方ない。それにしても、ここ2週間ほど本棚を隠すようにして張ってお世話になっていたざくろのエッチなポスターはどうしようか…。