可能性の世界

 このタイミングで親類の慶事があり、避難するかのように南洋のリゾート地へ行ってきた。「べ、別に自分のことが心配だからじゃないんだからね」と言えるなーと思っていたけど、帰国しても相変わらず悲劇と不安が生活界の外側に剥き出しで見えているような、なんとも気味の悪い日常が続いているわけで、あの実にアメリカンでヴァカンスな感じの南国での束の間の幸福のリアリティとの落差に見当識が失われ、思いっきり不貞寝したくなるけどそうはいかず。
 3次元の結婚式とはいえ、僕も参列して思う存分感情移入し、新婦が幸せのあまり流す涙に心を揺さぶられた。教会の中に満ちた幸せと祝福の感覚と、その外に広がる丘や大洋のありえないような絶景。仮にこれが日本から全てパッケージされたチープなセットだったとしても、当人たちにとっては人生で一度しかない、世界が善意でのみつくられた日であり、その明るさは今思い出しても夢のようで、現実感の不確かさに目がくらみそうだ。
 とまあ、僕はモニターをのぞくプレイヤーのような立場でしかないわけだがそれなりに得るものを得てしまった。エロゲーでは悲劇から結婚式への展開なんて普通にあるわけで、画面の中で起こっていることがあまり伝わってきていないのだとすると、もっと精進せねばというようなろくでもない教訓に落ち着いてしまう。あの青く明るい波に束の間中途半端にゆらゆら揺られ、強い日差しに肌を焼かれ、いったい自分は何をしに行って何を持ち帰ったのか。もちろん他人を祝福しに行ったわけだけど、それはなんだかよく分からない経路を経て多分自分にも少し跳ね返ってきて、僕には手が届かないけど存在することは分かった、祝福というやつなのだろう。そしてこれは単なる可能性の世界の話ではないのだ。