猫撫ディストーション (75)

これまでの分
体験版雑感:http://d.hatena.ne.jp/daktil/20110213
ギズモ・式子:http://d.hatena.ne.jp/daktil/20110227
結衣:http://d.hatena.ne.jp/daktil/20110306
柚:http://d.hatena.ne.jp/daktil/20110313

琴子:
 震災やら何やらを挟んで設定的な部分を忘れてしまった。そしてエッチシーンで可愛かったのは記憶に残った。普段から感情を抑えている分、色っぽい声を出すと可愛く聞こえる。絵師さんの特徴ということもあるのだろうが、琴子は目の力が強くて表情豊かなのは、やはり見たり見られたりすることで存在することができるというテーマに沿っているように思われる。奇抜な服装も、足を踏ん張る立ち姿勢も、正確で極端な語彙も、全てのんびりしているように見えて一生懸命な生き方をしているからなのだろう。作中ではなぜ主人公があれほどまで妹に強い思い入れを持っているのか描かれておらず、また、琴子は琴子で全ては既に存在してしまっている量子論的存在にふさわしく終始一貫泰然としている。二人の関係の根本に関わるニュアンスは「感じ(クアレ)」で半ばいい加減にまとめられてしまっているけど、こういう皮膚感覚的な互いに対する思いに積み重ねがあるのだろう。と書くとプレイヤーは疎外されてしまうような気がするのが、「兄妹」という家族的な関係を押し出してその来歴を省き、クアレ(クオリア)をプレイヤーより先に口にしてしまうこのルートの残念なところ。それは琴子の大きな目を覗き込むことで補えるのかもしれないけど。

ドラマCD(ギズモと琴子):
 ギズモが「おっぱい、おっぱい」と言っていた。

 家族の幸せをテーマにしたこの作品では当然のことではあるが、恋愛にまつわるドキドキや甘美な陶酔のようなものは描かれなかった。それらは世界の認識や家族の永続性に比べればエピソード的なものに過ぎないのだろう。みんなこんな風に家族の幸せを願っているのならばその家族はうまくいくしかないわけで、そこに集中するために家族の外部はかなり排除されていた(生計とか近所づきあいとか成り立っていない)。そのことに皮肉が込められているかどうかは別として、こんな風にして近しい人たちと幸せを求めることは自然なことで、そのファンタスティックな設定や暖かい空気は心地よく、尊いものだった(エロゲーの感想じゃないな…)。ギズモや琴子を撫でながら居間でのんびりしたり、柚と二人で歩むことを決めたり、式子や結衣と永遠に生き続けられる世界があると知っているからこそ、そうした世界が自分の世界とは全く関係がないと分かっている別の世界の樹も安らぎを得ることができるのだろうし、自分もなんとなく生きていけているのかも知れない。