どうしちゃったんだろう・・・。終盤になるにつれてなんだか叙情的な密度が薄れていって、設定に依存した語りになっていくような・・・。民俗学の世界はいくつかの記号の単純な組み合わせからなる図式に還元してしまうこともできるけど、そのマイナス面が出てきてしまって、それは美しい言葉を使っても隠しきれていないように思える。竜胆の言葉が説明的過ぎる。人間とは違った時間の尺度で生きる存在だから、心はあまり見せないもの、でしょうか。
気を取り直して、ES用にまとめておこう。
(一言感想)
エロゲーの持つ原始的なパワーはどこに。失われた風物が静かに紡ぐ物語。会話・掛け合いではなく、風景画を鑑賞するかのように進んでいく「日本近代文学の起源」的な作品。ストーリーに関しては、図式化しすぎて叙情性が薄まるという民俗学のマイナス面がけっこう出てしまった感がある。紫織さんは素晴らしかった。
(長文感想)
民俗学のディシプリンにまじめすぎた結果、ファンタジーとして伸びきれずに自縄自縛になってると思う。なんでも解説して明瞭してしまう学者の悲しさ。柳田国男にしろ折口信夫(は読んでないけど)にしろ、分析的な知性とは別に、民俗学のマザコン的な世界に浸らざるを得なかったような内面的な欲求と言うかトラウマみたいなのを抱えていて、それが文章の端々から漂い出てきてしまっている、というような節があると思うんだけど、活字漬けの若い学究である工月は、その辺が二番煎じの悲しい現代人だなあ。荘重なテキストは見事なんだけど。
紫織さんは本好きの人のフェチシズムをくすぐる素晴らしいヒロインだった。声もよい(特にHのとき)。彼女が神樹の館で母親的な位置にいるのもよく似合っている。
ほかのヒロインたちは、個人的には、設定の割には紫織さんほどはキャラ描写が膨らんでいなかった気がする。もちろん、ストーリーから言っても、多少とも母胎回帰願望のある人なら嫌いにはなれないような子たちだけど。
テキストとグラフィックがあまり合っていなかったのは演出の責めとするべきだろう。どういう絵柄ならもっとよかったかは分からないけど、たとえば水彩画とか油絵とかはダメだろうか。背景画にしても切り絵とか使ってみてもよかったような気がする。
最後に、改めていうまでもないけど、子供の遊びを始めとするさまざま民俗学系の小道具や和風の小物たちがでてきたのは大変よかった。ただそのストーリー上の役割があまりにも優等生的過ぎただけで、個々のモチーフ自体はとても魅力的だ。デ・ゼッサントみたいに引きこもって、竜胆や紫織さんや麻子や双子たちと、ずっとずっと遊んでいられたら・・・。静かに失われていく美しいものたちや神様たち。本当はちょっと眠りにつくだけで、時が来たらまたしゃべりだしてくれるのでしょう。