ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/16
- メディア: 新書
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全体的に、自分の立場の弁明みたいなことに割かれているスペースが大きく、特に前半の理論編では大塚英志や伊藤剛などの論をまとめつつという感じだったので、この辺の一回読めば十分ですっていうような抽象的な話はもっと簡潔にまとめてほしかった(一般向けの本なので仕方ないが)。弁明よりは、東氏自身が見つけてきた「これ面白いから、お前ら読んでみろよ」っていうような熱気がほしかった。それが前著にはあったような気がするが、本書では、やはり現在のややしらけた状(ry。
その理論部をざっと読んだ感じで僕なりに要約すると、リアリズムを3つに分ける話。1−自然主義的リアリズム、2−まんが・アニメ的リアリズム、3−ゲーム的リアリズム。そしてそれを支えるポストモダンの状況。本書で論じられるのは3で、これは現実に対してプレイヤーとして臨むような視線を引き受けた、メタゲー的な小説やゲームのこと。ステレオタイプやデフォルメに侵された現実に囲まれているからこそ、こういったテーマの作品が切実さを持ちうるという話。文学史をかじった経験のある者からするとこれはやや強引。メタ的な構造の作品は現代日本のオタク文化にのみ結実したものではない。ポストモダン文学はあまり知らないので措くとして、とりあえず、これはロマン主義流行期のヨーロッパ文学が経験した道である。キャラクター性が物語に優先する状況を逆手にとって、不思議系美少女や童顔おっとり巨乳系美少女を的確に配置し、虚構と現実との選択を読者に提示する『涼宮ハルヒの憂鬱』が、ポストモダンという状況とラノベというジャンルの中でしか理解できないものだというのなら、ロシア文学の至宝とされる『エヴゲーニイ・オネーギン』(1830−37年だったかな、「未完」)もポストモダンなラノベということになってしまう。『オネーギン』でもやはりヒロイン(二人いる)はロマン主義文学のクリシェ的な容貌を持ち、料理が下手だったり「うぐぅ」とかいう代わりにバイロンとかスコットとかを読んでメランコリックになったりし、そのことに対する語り手の茶々が入り(しかしそれでもヒロインに萌える語り手)、ちょっとしたファンサービスも挿入され(スカートからのぞく足礼賛のくだり)、一度はバッドエンドを迎え、次に語り手が何を語ろうか迷っているうちに、作者が妻の名誉を守るための決闘で実際に殺されてしまう。今でこそ古典に入り、モーツァルトの音楽にたとえられてはいるが、当時はかなり複雑な受け止められ方をされたはずだし、必ずしも健康的な作品というわけでもない。「毒」がないのは書いたのが名誉を尊ぶ貴族だからで、クリシェをめぐる議論自体は、プーシキンを含む当時の文人サークル(アルザマス会とか)では恐ろしいほどの繊細さで煮詰まっていた。だからバイロンの衝撃から20年くらいしてユゴーの小説がロシアに入ってきたときは、さながら鍵ゲーの後にFate/stay nightがヒットしたときのように、そのめちゃくちゃな言語と貪欲なエンターテイメント性がプーシキンを困惑させた(メタ性の点ではバイロンと鍵ゲーはだいぶ違うし、プーシキンも5年くらいでバイロンを卒業してしまうが、クリシェやフォーマットの確立への寄与においてはまあ似たもんかと・・・苦しいか)。
ロマン主義は文学史的には自然主義が成立する前の文学で、自然主義後にも象徴主義とかアヴァンギャルドとかでたびたび回帰してくるわけだけど、本書でいうまんが・アニメ的リアリズムやゲーム的リアリズムは、必ずしも自然主義的リアリズムを放棄しているわけではないと思う。エヴァやイリヤの空で描かれている夏の空気の質感や細かいしぐさや、Moon.やOneやAirで描かれている掛け合いや回想テキスト(と音楽の組み合わせ)の妙は、ラノベやポストモダンだけのものではない(自然主義はあまり知らないんで、こういう抒情性の強いのはあまりなかったりして・・・)。東浩紀のいう「それでも物語を語るとすれば」の「物語」の例に当たるのだろう。
やや的外れなツッコミをしつつ何が不満なのかというと、もうぶっちゃけ趣味の話なってしまうのかもしれないが、麻枝准や秋山瑞人が竜騎士07や谷川流と同列で論じられていることなのだ。そりゃあメタ性という構造から見れば同列かもしれないけど、テキストの質が違うでしょうと。竜騎士や谷川の文章は真面目に読めるようなレベルのものではないでしょうと。我慢して読んでいれば少しは面白くなっていくのはわかっているけど、でもけっこう大変でしょう。作品のよしあしの判断は本書の課題に入っていないので東浩紀は何も間違ったことはしていないけど、せっかくの機会なんだから、付録かなんかででも批評家としての忌憚のない作品評価を示してほしかったなあ。
後はグラフィックの話、音楽の話、エロの話もほしかった。これだってリアリズムと無関係ではないでしょう。プレイヤーは視覚や聴覚や触覚(?)を動員してゲーム的リアリズムを生きようとするわけでしょう。小著で全てとは言わなくても、その端緒くらいはつかなかったものか。網状言論F改やササキバラゴウや本田透らの文脈は本書では付録に隔離されている。東浩紀はやはりこっちは語らないのかな。
というわけで、本書では著者の立場こそよく分かったけど、あんまりわくわくしたり発熱したりはしない内容だった。やっぱ面白い作品が出ないことには始まらないですね。パンと見世物っていうのもよくないし、僕も低いアンテナ張って続けていきますよということで。
とりあえず、水仙花のHAINさんの新作『屠殺の園』が出ますね。前作ほどのスケールはないかもしれないけど、期待しつつ待機しています。ソフマップでは黒いポスターが目立っていました。
それから昨日は『少女連鎖SE』を買ってきました。安かったので『フロレアール』と『終の館・檻姫』も。今も7、8本並行して進めているけど・・・。