アトリエかぐやのチェーホフ劇場

 美咲シナリオ堪能中。こんなにメランコリックで美しいセックスはいつ以来だろう。腐り姫以来だろうか。泣きゲーとかの濡れ場で感情移入するならともかく、抜きゲーの濡れ場でここまでいとおしんでしまうとは思わなかった。一山超えて賢者化するとこの感覚が消えてしまうのが残念だ。本来エロゲーのエロシーンをこんな風に称えるのは滑稽なことで、このゲームのストーリーや設定自体はありふれた茶番だということは分かりきっているはずなのに。茶番だと分かっていても屈せねばならない現実がある。主人公は老練な営業マンのように描かれているのかもしれないが、売っているのはアダルトグッズだ。それでもやりがいのある仕事と思い込んで、プライドを持てると思い込んで、自分なりにかっこよく生きようとしている。美咲は小さな幸せすら手に入れられず、かといって心置きなく嘆けるような美しい不幸も与えられず、ただただ滑稽な恥にしかならないような失敗ばかり繰り返す。現実に屈する失敗者たちの物語だということは、これが三文芝居的なぶれた枠組みの中で展開されるために、二重の意味で失敗者たるプレイヤー(というか僕)の現実に作用する。さすがにアダルトグッズではないけど、僕は来期から異動でもっとペコペコちまちました商売をさせられることになってしまった。やりたかった仕事からどんどん遠ざかってきた。もう仕事に対して熱意はないけど、辞める覚悟はまだなく、いわゆる「バカになる」ことを強要するような職場なので、無理やり仕事を楽しんでやっているような「フリ」をしている。でも結局はフリに過ぎず、中途半端なので、「熱意」が足りなくて失敗して、いつも怒られてばかり。その意味では僕はいまだに社会人半人前だし、この作品の主人公よりも子供だ。その後ろめたさは、美咲をだます主人公の後ろめたさとある意味で相似だ。どこかで馬鹿げた失敗を少しずつ積み重ねてきてしまった結果、今ではもうきれいに生き直せるなどという若い希望は、あまり自信を持って言えないところまできてしまった。それが滑稽だとわかっていても、失敗者同士刹那的に寄り添って、零れ落ちていく若い頃の夢を惜しんでみたりする。現実に喜びがないから、馬鹿な二人でちょっとだけ夢を見てみるのだ。窓の外に向いた立ちバックの姿勢で愛し合う、失敗者たちに降り注ぐ夕暮れの光。ありがたいことにその光は優しいようだ。