中沢新一『アースダイバー』

アースダイバー

アースダイバー

 生半可な知識で応用しようとすると都合のいい恣意的な解釈になってしまうのだが、それでも自分に引きつけて考えてみるのが楽しい。僕の場合は小学校3年生まで住んでいた家が「森」の中にあった。その森の中には小さな川が流れていたし、近くには「人間離れした人たち」が住んでいた。僕の無意識には子供の頃にどっぷり浸っていたこの異界的な「森」の雰囲気が刷り込まれていると思う。そういう意味では恵まれた環境だった。小学校3年生からは乾いた高台にある洋風の家に住んだ。辺りは戸建ての住宅が密集する、丘を切り開いてつくられた住宅団地で、どちらかというとリベラルでナイーブな気風があり、優等生型の子供が多かった。中学校で一緒になった地区は低地の「土着型」で、ヤンキーも多かった。低地のほうは高校・大学卒業後に地元に根付いた人間が多く、高地のほうは外に出た者が多い。僕は高地型の信じやすい人間だったので、世界は(キリスト教的にも)単純なものだと思っていた。高校・大学と進むにつれていろいろな世界が見えるようになって自分の根拠の無根拠さを痛感していく中で、オタク的な感性の邪道に落ち込んでしまった。あるいはここで「森」の無意識と「高地」の理性の結びつきが崩れて、こんなに不真面目な人間になってしまったのかもしれない。学生時代の後期ごろから乾いた部屋に本やオタクグッズのような乾いた素材で森を作るのが習慣になってしまった。なるべくしてなったのだろう。安心の森はとても落ち着くから。半月後にお迎えする高島ざくろタペストリーをどこに安置するか、楽しい悩みだ。今すんでいるところは部屋の中は「森」だけど、高台にあって風がよく吹くし、近くに小川があるので「流れ」を感じやすいのは空気力学的にもいいだろう。