樺薫『ぐいぐいジョーはもういない』など

 ゴールデンウイークに読もうと思い立った本にようやく手をつけられた。まずはハチナイ小説『北風に揺れる向日葵』と『潮騒の導く航路』(asin:4047351075 / asin:4047356700)。ゲームではあまり描かれていないエレナと潮見が何を考え、何を背負っているどんな人間なのか分かっただけでも満足できるものだったが、ゲームともアニメとも違い、音声や音楽がなくて絵がわずかしかないことでいつもと違う形でハチナイ世界を楽しめたのもよかった。なんというか、普通の文庫本のフォント(明朝?)で描かれているだけで趣きを感じてしまうのだから我ながら安っぽい感性だが、やっぱり音の出ない本ていうのもいいな。作品の技術的な部分についてはあれこれ細かいことを言っても仕方ないような狡猾な代物だが、女の子たちがおおむね行儀が良すぎた中で、メインのエレナ、潮見、有原はしっかりと描かれていて印象に残った。そういえば有原はゲームでもあまり描かれていない(無課金プレイヤーなので知らないストーリーも多いが)。あと九十九さんはセリフが少なくても安定していたし、竹富くんは唯一の出番があまりにもな感じで笑ってしまった。
 次に読んだのは『Room No.1301』の1巻と2巻(asin:4829162244 / asin:4829162600)。だいぶ前に評判を聞いたことがあったが、今回何となく手に取った。青春時代の不安定な感じが懐かしく描かれていた。なぜだか13階の部屋が自分が昔住んでいた家になり、そこに一人で住むという設定にやられてしまい、今は失われてしまった自分が育った家の間取りや家具の細部や、失われたあの頃の家族の誰がどの部屋でどんなふうに過ごしていたかを思い出そうとしているうちに眠り込んでしまった。小説に流れる空気に触発されたところもあるかもしれない。このことだけでも手にとって良かった。といっても2冊読んである程度満足してしまったので、またいつか何となく読みたくなるまで続きはいいかな。
 それから『ぐいぐいジョーはもういない』(asin:4062837552)。刊行から10年だそうだ。『花咲くオトメのための嬉遊曲』もそうだが、僕が知る文学史や文学ジャンル体系には野球小説、ましてや女子野球小説というものはないので、僕にとってはオーパーツのようなインパクトの作品だ。そう思わざる得ないほどに文体や物語構造が、伝統的な文学史とは全く関係のない野球という外的ファクターに合わせて変形され、野球以外のテーマを扱うことはできないように練り込まれたような印象を受ける(映画はあまり知らないし、本作で取り上げられた映画も見たことがないのでよくわかっていない部分もあるだろうが)。まさか一試合のほぼ全投球の内容を隙なくリズミカルに解説していくことが青春と百合の濃密な物語になるとは。こんなにガチの「女子球児」なるものがこの世に存在するのがにわかに信じられないが、確かにどこかに存在するのかもしれず、といっても別に存在してもしなくてもそんなことはどうでもいいというくらいに高密度な青春女子野球百合小説という構造体が、何かよくわからないものに対する記念碑のように存在しているのだった。わずかに惜しむとしたら、鶫子の言葉遣いが男っぽすぎることくらいだ。女子と野球の関係については、『花咲くオトメのための嬉遊曲』の感想では視線の問題と時間の問題を中心に書いたが、本作品ではイラストはほとんどないので視線の問題は語りの問題に置き換わり、そのことにより時間の問題は語られる時間、すなわち記憶の問題になったかのように思える。ただの玉遊びがこんなものを生み出すのは何とも不思議なことだな。それをいったら世の中の素晴らしいものの多くは不思議なことだけど。