猫撫ディストーション 体験版雑感

 最近エロゲーマーとして不能気味で憂鬱だが、こればかりは我慢できずに手を出した。が、評判ほどぶっ飛んだ内容ではないという印象。『荻浦嬢瑠璃は敗北しない』のメタテキスト改変操作関連で、他人を二次元絵に変換できる現象の延長線上の設定っぽい。嬢瑠璃たちにとって世界は闘争の場のようなものだったと思うけど、「楽園」の実現が課題になってくるはずのエロゲーにおいては、行為ではなく状態がもっと描かれるはずだからさらに踏み込んだものになると期待できるのだろうか。体験版の範囲では問題提起に留まるのかその先を描くのか分からない。楽園を予感させる一方で、その周りに取り残される風景が荒涼としたものであることも感じさせる。突き詰めればどうやったって過激な要素を排除することはできないのだから、どうまとめるかは政治的な解ではなく芸術としての解の形で受け止められないと意味がないのだろう。
 それにしてもコミケで発表された「電卓ルート」の短編といい、軽さで鳴らしたはずの80年代は、それゆえに内圧のような亡霊的な重さを感じさせる。式子さんルートは下手をすると「母さんを父さんに寝取られる」あるいは「父さんから母さんを寝取る」という気持ち悪い展開を思想的に完璧な形で行なうことを想像させるという時点で既に気持ち悪いが、80年代以降ラブコメが一貫して無時間的な場を描き続けているうちに四半世紀が経っていたという浦島太郎的な不気味さも抱えているようで怖い。二次元キャラは歳をとらないという奈落の深淵を露出させたままプレイヤーが幸せになることができるのか。とりあえず消費者たるプレイヤーとしては式子というヒロインの魅力に全てを丸投げして待機するしかない。
 しかしこのゲームが楽しめなかったらいよいよ自分の老化は取り返しがつかない気がするので、そういう意味でも重たいゲームになりそうだ。願わくばとどめが刺されませんように。そして明るい気持ちで楽しめますように。