瀬戸内海の島には従姉妹の三姉妹が住んでいて、小学生の頃には毎年夏休みに帰省していた。祖父母が亡くなった中学生以降はあまり帰っていないのがもったいないけど、あの強い日差し、黄色い砂の散る坂道、その脇の水路にいるカニ、エアコンが普及していなかった時代の開放的な間取りの家と高校野球の実況、ビー玉入りのラムネ、永遠に鳴り止まないセミの声、叔父さんに作ってもらった剣を手に探検した山、スイカ、海、クラゲ、夏祭り、従兄と従姉妹達、夏休み・・・。自分は昔はずいぶん豊かなものを与えられていたのだと改めて思う。従姉妹達の着ていたスク水も含め、今では再現できないものばかりだ。小学生の頃は女の子とまともに話をできるような子供ではなかったので実際はそれほど交流もなく、夏になると東京から来るつまらない男の子達程度にしか印象はなかったのかもしれないが、それっぽく紹介すると、長女は頭も性格もよい子で、当時はもう中学生か高校生、次女は面白くて頼れる兄貴的な子で、後に少しグレたが頼れる子だったのは変わりなく、三女は僕と同い年くらいの元気いっぱいの子で、次女に追いつこうと背伸びをしてはからかわれてよくケンカしていた。子供の頃は総じて女の子の方が大人びているし、アウェーでもあったので、僕達は大人しくしているか、どこかに連れて行ってもらうか、からかわれるかばかりで、要するにもてなされ、田舎の空気に浸されていた。特にアウェー感が強かったのが方言だ。緩急のある方言のリズムに翻弄され、子供心に僕は関西以西の方言に苦手意識を持った(島には大阪辺りの従兄達も帰省するのだが、関西の子と島の女の子達はそれぞれの方言で問題なく話していた)。三姉妹の父親である伯父さんと伯母さんは、男の子がほしかったので当然僕達は歓待され、島の方言でなにやらまくし立てるのだけど僕にはよく分からなかった。いやあ、いい田舎だった!
というのが前置きにあって、この「あまつみそらに!」である。当然、僕の記憶の中の瀬戸内の島とは全然違うし、何らかのリアリズムを求めるつもりはまったくないけど、どこか通じるところがあるとすれば、それは豊かさの感覚だ。明るい日差しとのんびりした人たちと、それに何よりもおっぱいだ。同じ神様ゲーでありながら、冬の寂れた温泉街で蓄財にいそしむ「ゆのはな」の小さな神様とは対極を行く。「あまつみそらに!」の豊穣感は、和風というよりはむしろインド的といってもいいくらいで、ヒロイン達の立ち絵の腰つきやくびれ、その動きのある演出は、ヒンドゥー教の寺院の壁面彫刻が描く楽園を伝える。
立ち絵のポーズがそれだけで彫刻的なのだから、それ以上のつけたしはむしろ諧調を損なうことになる。神奈や芹夏のデフォルメ顔の表情差分やデフォルメ度の高いポーズだ。芹夏は「アニ」という呼称も微妙だった。他方、凹凸感に富む美唯や深景先輩は、にこやかな笑顔で身体の左右の向きを変えるだけで、まるで脚韻を踏むかのような音楽的な演出になるというある意味で卑怯な強度を持つヒロインになっている。ちなみに、神奈の立ち絵からはあまり女の子らしさを感じられないのだが(失礼)、これは彼女が主人公に対して正面向きで見おろす姿勢であることが多い印象で、それが彼女の飾らない性格と神様らしいどんと構えた様子とよく合うからのような気がするのだが、ヒロインとしては損をしていると思う。千紗は立ち絵と声と性格のコントラストが素晴らしく、シナリオとエッチシーンがあっさり気味だったのがつくづく惜しまれる。
他に特に書いておきたいこともないのだけど、それにしても冒頭の「前置き」と作品の感想本体の接続が悪い。小学生の頃の思い出がエロゲー的子供時代の記憶のような機能を果たしてくれるかと少し期待したけど、エロゲーの感傷はあまりに抽象化されすぎていて、また本作のベクトルもあまりに違いすぎて、遠いこだま程度のつながりをどうにか感じられるくらいだ。そしてそれはそれでけっこう。なにしろ本作は立ち位置的にはおそらくプリマステラなんかと同じで、いちおうストーリーはついているけど、要はむっつりスケベなプレーヤーのための作品なので、何か真面目な話をしようとするほうが間違っており、僕の書き方だとどうしても滑稽になってしまう。