世界と世界の真ん中で (55)

 立ち絵がとてもきれいで大きい。近さは普通なのかもしれないが、布地をたくさん使った服やリボン、ボリュームのある髪などで大きく見える。みんな髪が長く、ポーズもきれいだったり可愛かったりして目に優しい。咲き誇っている花を見るような感覚がある。立ち絵鑑賞モードがあるのも正しいことだ。
 萌木原さんが描くヒロインたちの目は、以前にいつ空をやったときにはあまり感じなかったけど、瞳孔と虹彩があまりはっきり色分けされていなくて、ぼんやりと膜がかかったように見える。瞳の色合いが赤紫だったり青だったりして宝石みたいで、それも何だか夕闇や夜の空を感じさせ、ふたを開けてみたら静かで幻想的なお話だった作品の世界に似つかわしいように思える。
 他方で、一枚絵の方は立ち絵の完成度の高さに比べるとばらつきがあって、崩れたものや印象の弱いものも多かった。エロい絵よりも可愛い絵を描くのが好きな絵師さんなのだろうなと思う。
 作品の第一印象はかなり悪かった:

 クソゲーの文学性。
 「クソゲー」というのは必ずしも悪い意味ではなく、ある種の美点を持つアニメを「クソアニメ」と呼ぶ程度にはいい意味のつもりだが、うまい言葉が見つからなかったのでひとまず。
 「世界と世界の真ん中で」を始めたのだが、何というか、社会主義リアリズム文学を連想させるところがある。学生寮エルデシュはどこかの田舎のコルホーズかライコム(地区委員会)で、寮生である優等生ヒロインに「連理君はエルデシュの精神的支柱」と評された主人公は、そこで頼りにされている議長だ。村民は誰もが幸せで、美しい……。連理という主人公の名前も、連理の枝とかの連理じゃなくて、本当は「レーニンのことわり」とか「連邦のことわり」いうような由来で、意識の高い市民であることを示しているんじゃないのか。
 料理や家事が得意でヒロインたちに褒められる系の主人公が、ヒロインたちや親友役男キャラやヒロインたちの仲良しグループで「連理君らしいわね」とか「どうしたの?あのとき、連理君らしくなかったから」とかちやほやされながら(社会主義リアリズム文学における「ディシプリン」や「イニシアチブ」があると評される肯定的主人公)、あるいはヒロインが喜ぶのを見て「よかったな」(イリイチもきっと同意しただろうよ)とか声をかけてやったりしながら、あるいは元気のないヒロインを見て「俺にできることといったら、美味しい料理を作ってやることくらいだ」(労働は裏切らない)とかつぶやきながら料理や家事をする描写や誰が何を作るかとか食べることの話題ばかりが延々と続く序盤の日常パート、イケメン家政夫による介護施設での労働的なパートの文章のつまらなさが苦行レベルなのだが(無意味に爽やかな高原の別荘風――共産主義ユートピア…――の学生寮だったりして倫理的な意味での居心地も悪い)、この作品を手にした主な動機のひとつである絵の美麗さに助けられた。
 音声が流れているときはメッセージを消すという設定があって、それを使うとヒロインたちの表情や姿勢の変化をぼんやり眺めることに集中できる。特にヒロイン同士が会話しているときは地の文が少ないので、たとえそれがまったくどうでもいい言葉の応酬であっても、あるいはむしろ非効率極まりない冗長性の塊りであるからこそ、そしてエロゲー文法の魔法によりなぜかヒロインの立ち絵はいつもこちらを見ているので、それを浸す善意の空気にぼんやりと包まれながら、思考停止の境地に遊ぶことができる。正確には、ヒロインたちの他愛のない間の抜けたやりとりはセクハラ的なつっこみを入れる余地だらけの無防備なものなので(ニコニコ動画で大量にコメントがつく萌えアニメのタイプで、例えば、BGMが変わると曲名がその都度右上に出てくるのだが、穏やかないい雰囲気のシーンになって「黄金の円光」と出るといちいち馬鹿馬鹿しく釣られて、あぁ、となる)、思考停止というわけではないのだが、日本語の読み物としての面白さや倫理性の問題から遠く離れた境地に至れることは確かだ。主人公の提灯持ちみたいなうざい親友キャラはすぐさま音声を切ったが、立ち絵も非表示にできたらもっと快適性が増しただろう。こういう楽しみ方をするなら主人公はノイズでしかないので、なるべく主張せずしゃべらない、人格というよりは一つの機能に退化(進化か)させるのが望ましい気がする。それを推し進めて主人公を消したのが萌え4コマであり、エロゲーではシステム上そこまで至るのは難しいのだろうけど、この作品のようにヒロインの絵が美麗で声も可愛ければ、高度に空虚な癒し作品として十分に比肩できる。

 ちなみに、「人格というよりは一つの機能」としての主人公は、個別ルートに入ったらそのままの設定であることが判明してちょっと驚いたが、そう考えると主人公は人間になることで不快感が増して退化したと言えるかな……。
 この後、最初に愛良ルートに進んだ。ストーリーの展開はどれも似たようだったけど愛良ルートが一番面白く感じたのは、最初にやったからかもしれない。面白かったといっても文章に引き込まれたとかそういうことではなく、ルート後半以降で歌声が超常的な効果を示したり、聖女とあがめられたりと話がめまぐるしく展開するのも淡々と静かに進められ、町の広場でいきなり歌いだすと周りの人々が静かに聴き入って明るい光がさして秘蹟が行われる、その全てを悟ったかのような流れにスピリチュアル文学や聖者伝のような奇妙な静謐さを感じられたからだった。共通ルートのいびつな箱庭感がいつの間にか、見方によってはサイコホラーと言えなくもない静かな喜びへと変わっていた。説明に言葉を尽くしたりしない謙虚さが好ましく思えた。
 あと、エッチシーンはこの作品はヒロインが吼えたりせず声を押し殺して喘ぐので全体的によかったけど、なかでも元々口下手な愛良は特によかった。何というか、でかい一物を突っ込んで乱暴に動かしてぶちまけて終わりというのではなく、壊れやすい女の子をその女の子の視点まで降りてきて気持ちよくさせているという感じがあった。
 ただし、エッチシーン以外では、悪い意味で女の子視点になりすぎていると感じることも多々あった。愛良ルートで言えば、愛良に結婚式のドレスのような衣装をいきなりプレゼントして、寮でおしゃれな高級レストランを訪れたカップル風の食事デートをやって(あまつさえそのドレスでエッチにまで及び)ヒロインを喜ばせるというのは、できるイケメンを誇示するシーンなのかもしれないが、プレイヤーとしては個人的に実にくだらないサプライズだと感じてしまった。トレンディドラマ風というか、まあ今でもこういうカップル席で夜景を見ながらディナーみたいなデートは割と標準的なのだろうが、ともかく(三次元)女性視点の幸せを描いているように思えてしまった。つまり愛良も三次元女性っぽく感じてしまう。同様の「女の子が夢見るイケメンを演じさせられている感」は、美紀ルートのデートイベントでも感じられた。女性が喜ぶなら男性はそれで幸せになれるのかもしれないが、やっぱりフィクションの中でくらいは男も我慢せずに同じもので喜びたいよなあというのはある。ライターが女性なのかどうかは知らないが、変なところで現実を思い出させないでほしい。上記の第一印象のところでも書いたけど、主人公はヒロインのことを除くと料理、買い物、掃除、洗濯のことくらいにしか生きる意味を見出していないようなところがあって、生活においてこの辺のルーチンの優先順位が一番低くなっている非モテ人間としてはつらい。しかし、デートをするといって湖に散歩に行って、そのまま木陰でことに及んでしまう(しかも他にはほとんど何もしない)愛良の二次元的な無防備さは賞賛したい。
 ついでにもう一つのノイズについて。中(あたる)という主人公の友人ポジションの男キャラがいて、これが設定的には結構意味のあるサブキャラであることが後ほど判明するのだけど、日常シーンでは何かある度にハーレムの主である主人公に気配りを見せる非常にうざいキャラで参った。男キャラに恋の相談をして、そういうのもいいと思うよ、せっかくだから、この恋を機に生まれ変わってみるべきだよといわれる気持ち悪さ。ショッピングは女子だけでやるといって主人公と男キャラはいったん外されるけど、その後主人公はなぜかオーケーされて、「やったね、連理♪」と嬉しそうな男キャラ。あるいは僕の感覚が平均的なエロゲーマーとはずれているのかもしれないが、こんな気味の悪い男キャラを気に入るようなプレイヤーはいるのだろうか。なぜわざわざ気持ち悪い言動を取らせるのか分からない(設定的には主人公の守護霊みたいな存在ということだが、それならもっと別の性格、というか女キャラにしてもよかったと思う)。そもそもエロゲーで男の友人キャラをきちんと描いて成功するケースなんて多分ほとんどないので(物語の本質にあまり関係ないキャラか、あるいはエキセントリックなキャラや人生の先輩のようなキャラばかりで、僕の知る例外は『最果てのイマ』の男共くらいだ)、あまりむきになっても仕方ないことだが。
 愛良の他のシナリオについては特に書くべきこともないので手短に。
 美紀ルートは、会長との三角関係で会長の魅力が一切描かれていなかったので感情移入できず、二人の美紀の話もどこか他人事になってしまった。また、このルートは耳に優しくない稚拙な日本語で書かれていて、例えば「みのり」と「美紀」の連呼に悪酔いしそうになった。しかしラストシーンのクラスメイトたちとのハイタッチは不気味な調和に満ちていて、意図せずして(?)よい電波を出していたと思う。
 小々路ルートは、最後の不条理な終わり方に不満が残った。そこはご都合主義的に病気が治るか、あるいは治らなくて終わってほしかった。もっと前のシーン、特に病院を抜け出して牧場へ行き、でもお金を持ってなくてアイスクリーム屋を眺めるだけというのはとてもよかったのに。結局苦しんだ母親は放置して、恋人たちは天球儀の世界で末永く幸せに暮らしましたというのは不気味すぎる。小々路ちゃんはあんなに可愛いのに、可愛い顔をしてなかなか思い切りがよい。そういえば、天体観測をしに牧場に行ったのに観測そっちのけでエッチしかしなかったし、「お兄ちゃんの赤ちゃんがほしい」と直球で言える娘なのだった。もちろん、彼女だって苦しんだし、だからこそそもそも天球儀の世界にやってきたのだろうけど、終盤の展開の中でそこを描かないところにこの作品の奇妙な空白、もしくは迫力があるのかもしれない。
 遥ルートは、マリポ先輩を好演し、らぶおぶやノラととで元気なロリキャラを気持ちよく演じていた卯衣さんに期待していたけど、この作品のおっとりキャラはこの人の声にはあまり合わないようだとの結論に至った。菜緒もそうだけど、元気で早口なロリ声なのに無理やりゆっくりしゃべっているように感じられて不自然だった。残念ながら、エッチシーンも遥っぽいというよりは、ところどころ淫乱お姉さんキャラみたいな発声になってしまい不自然だった。お話自体は猫撫ディストーションのギズモを思い出させるもので、それだけでも何だか嬉しかった。しかし理系要素は完全に上っ面だけで残念だった。遥はエルデシュというハーレムの中で唯一、主人公にはじめからべったりではなかったのもよかった。この共産主義ユートピアでは、成員が互いを監視しあっており、ミクロな観察ややり取りが絶えず行われていて、どんなことが連理らしくてどんなことが連理らしくないかが最も重要な関心事になっている。そんな気遣いと察しの文化に息が詰まりそうになったとき、主人公など気にせずにボリボリとスナック菓子を食べながら、星や数式に夢中になっている遥が癒しになる。ただし遥ルートには他のルートのようないびつさはほとんど感じられず、「距離」や「好きという解」をめぐる不器用で臭い言葉のやり取りくらいしかなかったので、どちらかというと平凡なお話の印象だった。
 冒頭に書いたとおり、グラフィックに惹かれて事前情報なしに手に取った作品だったので、あまり評価が高くないことを後から知ってちょっと残念に思ったが、それでも何かしら楽しめた。まあ、女の子が可愛いということを思い出せば大抵の作品は何とかなっちゃうんだけども。