星継駅擾乱譚 (70)

 絵画っていうのは空間も時間も自由につなげられる空間芸術ですねという意味において、絵画的というか換喩的な楽しさを味わえる作品だった。
 冷静に考えるとどこかで見たことがあるような設定や展開をつなぎ合わせたような話であるのに、読み進めているときは興味がそがれたり飽きを感じたりすることがまったくといっていいほどなかった。いうまでもなく、それを料理する文体が引き込む作品世界に心地よく沈み、感覚が絶えず刺激され続けていたからだ。霞外籠逗留記をプレイしたときには終始エロゲーとしての違和感から逃れられなかったものだが、今ではすっかりライターさんの語りを受け入れてしまっている。言葉の圧倒的な奇跡はなくても、変幻自在で細やかな織物は見ていて楽しいし、寛いだ気分になる。
 あと、毎度繰り返しているようだが、このライターさんの嗜好がかなり信頼できる。「カラマーゾフの兄弟」(ポルノ小説)で自慰にふける根暗処女とかどんな生き物だよと思いつつ、そんなシーンあったっけとあらすじを調べてしまった。まあ、なくて安心したんだけど。カラマーゾフは大審問官のところは特に日本語で何度も読んだけど、大学1年生くらいの頃に読んで以来通しでは再読していないので忘れているところもあるみたいで、いつか読み返すのが楽しみだ。
 他に一言書き留めておきたいのは、ヒプノマリアのまさにヒプノな美しさで、(胸の小さなヒロインなのに)ずいぶんと引き込まれた。正反対の性格ながら、家族計画の末莉を髣髴とさせる妖しさ。テクストだけでなく絵もきれいで、切れ長な目や白く涼しげな肌を見ていると春信の系譜的なものを感じてありがたがりたくなる。
 そして宇宙。この物語にテーマ的なものは求められず、偶然とは言いながら、それが予定調和的に淀みなく進行していくのを僕達は車窓からの景色のように眺めるわけだけど、その果てに見えるのが宇宙なのだという絵画的に美しい構造が作品のメッセージだ、というと陳腐なまとめ方になる。事物の連なり自体が雄弁だ、というと一種の未来派みたいなもの。その優しいファクトゥーラ。