田中ロミオ『人類は衰退しました』9巻

 1巻が出たのが7年前の2007年。完結してしまったのが名残惜しくて、1巻から順番にどんな話だったかパラパラ見返してみたけど、アニメを経ても全然陳腐化したような気はしなくて、ほとんど記憶から滑り落ちてしまって初めて読むような気がしたような話もあって(例えば2巻の「人間さんの、じゃくにくきょうしょく」とか)、なんともありがたい作品だ。9冊となると物理的にも貫禄がある。というか、5巻と6巻はイラストが代わった新装版であることに気づかず、旧版とだぶって買ってしまったので11冊だ。初代のイラストが好きだけど、イラストが代わるというハプニングもロミオ作品的な認識変容のトリックとして納得できてしまったり。なんにせよ、忘れてしまったところが結構あるので、読み返せば楽しめるだろうなあと。田中ロミオがこのシリーズを書き続けて、僕はそれを読んだり読み返したりするだけの世界とかないのだろうか。
 で9巻の感想も少し。SF的な発達史観では、現代はたぶん冷戦の終わりと共に宇宙開発競争も終わってしまったエアポケットのような時代なのだろう。宇宙開発の問題はど素人なので適当な聞きかじりだけど、人が月より遠い星に行く計画とかだいぶ先の未来だろうし、アメリカの会社が宇宙旅行の商業事業をやっているとかいうのも全然わくわく感がない。確かロシアも2020年ごろまでは遠い宇宙の探索にはとりあえず手をつけない予定で、それまでは停滞した宇宙開発を再開するためのリハビリ期間という位置づけだったような(今のロゴージン国防・宇宙開発担当副首相は、隕石撃墜システムを創るとか発言するかなりエキセントリックな人だが)。前世紀の月面到達以来、フィクションの方はあまりも進みすぎてしまって、ビジュアルイメージが溢れたのに比べると、現実の進歩はあまり遅すぎて、そりゃあSF作家も分かりやすい方向付けをえられずに量子SFみたいな理論の領域に逃避していったり、社会設計や小さな日常の問題に埋没していってしまうようなあと。「宇宙に出る人間」を描く作品があまりにたくさん、長いこと作られ過ぎて、もはや歴史的厚みを持ってしまった。宇宙開発が失速している現代、宇宙の話は未来ではなく過去の話だと言えるほどだ。その感覚がこの作品の世界とちょうどシンクロしていて、この作品でも宇宙開発を行えるほど勢いがあったのは過去の時代であり、それどころかその時代の技術は妖精を通じてでないとアクセスできないほどに失われてしまっている。そんな寂しさや穏やかな諦念が、主人公ちゃんが抱える欠落感のようなものと重ね合わされるようで、いろんな仕掛けを凝らしつつもシリーズが一人称の語りに終始したのはよかったと思う。これをSF的な郷愁と呼んでしまうのは安易過ぎる。彼女、意外に頑固だし。彼女が頑固だったのは、家族なのか心の平穏なのか暗くて狭くて居心地のいい場所なのか分からないが、受身がちな彼女にも守らきゃならない何かがあるからだろう。ついでの思いつきだけど、『巨匠とマルガリータ』のヨシュアはイエスの名前で、マルガリータは空を飛べる女の子だった。主人公ちゃんはおいしいお菓子は作れても、妖精たちの神様にはなれても、深窓の令嬢になれない。一人称の語りが採用された時点で無理だし、いくら彼女が不機嫌になろうとも、そこが彼女の魅力だし。とはいっても、一人称で丁寧語調を崩さなかったのは育ちがよさと思慮深さ(と人間不信)が感じられてよかった。8巻は生命の誕生の話で、9巻は生命の死と文明の継承の話である。主人公ちゃん的には、どちらもめんどくさいことだ。それを夢と妖精によって、つまり存在があやふやなものによって、するりと受け入れさせてしまう。冷徹な論理による説き伏せや脅迫ではない。シリーズを通して見ても、空間と時間、精神と物質といった尺度からいって、毎回取り上げられる題材が自由自在すぎて、語りの焦点も柔軟すぎて、どこに一貫性があるのか分からなくなりかねなかった。すべてを語る語り手ではないので、何が解決されたのか、そのそも何か解決されたのかも分かりにくい。問題が起こるのではなく、出来事が起こる(少なくとも表面上は)。主人公ちゃんは何か欲しかったものを手に入れるのではなく、達成するのではなく、事態を収拾し、見守る。自分を守っているうちに、いつの間にか手品みたいに何かを作り上げていた。その散らかった感じが魅力だ。主人公ちゃんは期せずして、僕らと僕らの世界(ちきゅう')だかとの間を取り持つ調停官にもなっていた。「そして未来がわたしたちを待っていました。」 温かい言葉だ。