クドわふたー (85)

(承前。だらだら続けます。ネタバレ注意)
 1週目終わり。
 別にシナリオに文句をつけるつもりはないんだけど、どうしたものかと思うところはあった。少なくとも、こんな風にゲームをやって流してしまっていいのだろうかと思った瞬間はあった。小学4年生に突きつける問題じゃないだろというところはあるけれど、年齢設定が曖昧なエロゲーではそれはどちらかというと揚げ足取りだ。おそらく本当に、いくらロケットが好きでも、宇宙飛行士になって宇宙に出ることなんて夢のまた夢だろうし、宇宙やロケットのロマンだけでその夢を持ち続けられるのかはいまいちよく分からないし、自分の身近な人たちに犠牲を強いることになるのはその通りなのだろう。その犠牲を思って我慢するのが今までのkeyのゲームの流れなのだろう。それをフィクションとしてのマジックでうまく昇華してきたのもまたkeyだけど。まあクラナドからは素直にいい話に流れているところもありそうだけど。
 その意味で、君のことが知りたいんだ、としか言えなかった理樹は、意図的なものかもしれないけど非常に説得力がなくてかっこ悪かった。しかも失神したりして。だからこのシナリオでぎりぎりのところを支えているのはやはりクドリャフカということになるのだろうか。彼女の設定や存在の持つ説得力で強引にあの場を持たせてしまった。初たち家族の感情が捌け口のないまま溜まってしまったことが問題で、交通整理さえすればまたうまく流れ出す、というようなものではないだろう。やはりあの家族がまた回りだすにはあそこでは省略されたか圧縮されたかでよく見えなくなっていた、神秘的な何かが働いているのだろう。それをクドリャフカに仮託していいのかは分からないけど。いずれにせよ、その神秘的な何かを手にする前の段階で、人を決定的に傷つけてしまったまま止まっている自分には、その後の和解は夢の中の物語のように不可解で綺麗なものに映った。


О, ваххуйтесь, вахачи!
О, завахуйтесь, вахачи!
Что вахунствуют вахульно, развахуйтесь!
Вахуюнчики, вахуюнчики!
(И перевахуй неблаговахучие!)


 コンプリート。
 連邦宇宙局(ロスコスモス)の方針では、これからはロシアの宇宙開発はバイコヌールから極東に移される予定で、アムール州のウグレゴルスクにヴォストーチヌイ宇宙基地が建設される。インフラ工事は今年か来年には始まるはず。ウグレゴルスクは人口が5000人しかいなく、宇宙基地関連事業では10万人が働くことになるので、実質的には新しい都市を丸々1個作ることになるのだとか。ロシアはそんなに資金を持っていないので、日本の商社も含めて海外の企業もけっこう参加するらしい。有人飛行は2018年、宇宙ステーションの打ち上げはそれ以降になるが、双日でも三井でもいいからクドリャフカをプリントしたモジュールを作ってくれないものか。アムール州の州都ブラゴヴェシチェンスク("福音の町")ではこれから大学での宇宙学部も充実させていくとのこと。2012年にオープン予定のウラジオの極東連邦大学と合わせて、モスクワのスコルコヴォ・イノベーション地区に比肩するような技術開発拠点になれば面白いだろうとは思う。
 それはそうとして、クドリャフカのルーツが南洋だというのが驚きだった。テヴアというのがどこなのか思わず調べてしまったが、もちろん見つからず。キリバス共和国で1999年に2つの無人島、テブア・タラワТебуа Тарава島とアバヌエアАбануэа島が水没したとかいう記事を見つけたけど、まあその辺なのだろう(12)。いかにロシアがらみのヒロインをエロゲーで個人的に待ち望んでいたとはいえ、ロシアの殺伐としたリアリティを持ち込まれていたらそれはそれで微妙な気分になっていたかもしれないと思う。クドがわふーわふー言ってロシア人にНе вахуйだのВахуй на хххだの言いすくめられていたらとても残念なはずだから。彼女の持つ美点や作品世界の長所は、ストレートだけど剥き出しで傷つきやすい。OPムービーの主題歌からしてかなり恥ずかしい、普段のクドリャフカなら決して歌えないような代物だ。だから南国ファンタジーの要素を導入して、彼女の現実離れしたというか現実を侵食する可愛さに架空の足場を与える必要があった。この作品での至福の瞬間は、クドリャフカが頬を赤らめて何か言っているのをメッセージウィンドウ(と一緒に主人公の存在)を消して眺めているときで、そんな瞬間が普通にたくさんあるのが素晴らしいわけだが、一言ごとにウィンドウを出したり消したり操作しながら至福を感じているのがけっこう間抜けなので、出来ればクドリャフカの立ち絵が可愛いときはセリフを長めにしてほしかったのだがそれはとりあえず措くとして、そういうときに彼女はいくつかのリアリティが重ね合わされた状態でプレイヤーに語りかけているわけである。
 それにしても女性キャラの宇宙物はどうしていつも体育会系になるのだろう。チェルヌーシカのことだ。秋山瑞人E.G.コンバットとかも。好きだけども。そしてそれが今回は内向的なクドリャフカと対照的だったのでよかった。関係あるのか分からないけど、漱石のロシア語訳とかもした知日派ストルガツキー兄弟のSFはまだ何も読んでいなかった。探したけど手元になかった。
 Ни пуха, ни пера!を拝見して、気になっていたクドリャフカの「ふわふわ」した自己認識の問題の背景を把握。確かに中途半端な文化的出自や逃避して帰属先を失った虚無感はあるのだろうけど、結局彼女が母親に会うために目指した場所が空であり、無重力の宇宙空間だったことで「ふわふわ」の意味は多重化される。さらに言えば彼女の容姿や声みたいな物理的な部分までもがなんだかふわふわしている。そして「わふー」は「ふわふわ」を反転させた、「ふわふわ」な状態を克服するための一種の呪文のようなものだ(実はキリバスの雄叫びか何かだったりして)。つまり、これはもうクドリャフカアイデンティティということでもいいような気がする。
 そんなクドリャフカの世界に引き込まれ、幸せだった。またとない贈り物だった。大切にしたい。