クラーク『楽園の泉』

楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)

楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)

 今年はイリヤの空を読み返すことはなかったが、夏なので攻めて一冊くらいはSFを読んでおこうかなということで、1987年の茶色くなった文庫本を本棚から引っ張り出してきた。
 恋愛要素はゼロなので(主人公は工学しか頭にないような初老のおっさんであり、クラーク自身も同性愛者だったとか)切ない余韻のようなものは皆無だが、読みやすくて爽やかなSFだった(訳文もよかった)。作者あとがきを見ていると、この作品(1979年刊)が書かれた1960~70年代は米ソが宇宙開発競争を行っていたSFの青春時代の雰囲気が感じられた。軌道エレベータのアイデアも西側とソ連でほぼ同時に科学者たちが発表していて、宇宙飛行士レオーノフとクラークの交流が言及されていたりして何とも明るい。このあとがきでクラークは、ひょっとしたら軌道エレベータは22せいではなく21世紀に実現してしまうかもなんて書いている。そういう時代だったのだ。
 それからわずか13年後にソ連は崩壊し、ペレーヴィンが『オモン・ラー』で国家権力が演出したフィクションとしてのグロテスクな宇宙飛行を描く。それから世界の宇宙開発はほぼ止まり、近年になってようやく最初の宇宙観光ビジネスの実現がみえてきたありさまだ。今のところ新しい変化として現実的なのはせいぜい通信衛星打ち上げサービスの一般化くらいだろう。国際宇宙ステーションはまもなく予算不足で半ば破棄され、誰かがうまく活用してくれるのかどうかも分からない。本作で描かれたような超強度の複合素材の量産は実現しそうな気もするが、現在の世界の未来感の乏しさをみていると(インターネットもSNSもAIもまだまだだし、そもそも内向きな技術だし、社会や経済の問題もちっとも改善されていないように見える)、たとえ開発されても僕が生きている間に革命的なことが成し遂げられることはなさそうで残念だ。
 あえてエロゲーの話をするなら、空中から硬質な糸を両端に伸ばしていくようにして軌道エレベータをつくっていくというイメージは、『素晴らしき日々』で希美香と卓司が成し遂げた、学校の屋上を音楽により伸ばしていき、サファイアの結晶を育成するようにして宇宙にまで到達した楽しい儀式をふと思い出させてくれた。現実がSFに置いて行かれ始めたとしても、文学は何度でも新しい装いで戻ってきてくれる。