相思相愛ロリータ (75)

 エロゲーのヒロインはそもそも存在自体が僕よりも賢いものとしてあるのだけど、それでも多くのヒロインはぱっと見はあまり賢そうではないので、愚かな自分はあなどってしまうことが多い。特に頭脳派っぽいキャラがぽいだけだったりすると残念に感じるし、そうでないキャラも含めて、そういう場合は別ジャンルになるというか、ストーリーの進行に合わせてヒロインに対する見方が変わっていったり、あるいは賢さとは別のものに惹かれていったりするのだけど、それは別の話。やっぱり見るからに賢い女の子や頭の回転が速い女の子が出てくると嬉しいし、背筋が伸びるような気になる。水夏のさやか先輩とか、最果てのイマの葉子とか、春萌の沙緒とか。


 そういう意味で本作のまこちゃんは終始主人公よりも賢くて優位にあって、しかもそんな彼女が「だめな大人」である自分を許して受け入れてくれるどころか、自分の位置まで降りてきてくれる。主人公は社会人なので割りとプレイヤー、というか僕に近い位置にあって、単なるエロゲー的な唐変木や能天気な好漢などではなく、仕事に振り回される日常の中で疲れ、高みを目指すことを忘れて自分に言い訳ばかりしているだめな大人である。まこちゃんは主人公だけでなく僕よりも賢くて、その言葉を聞いているとはっとすることもあるし、やさしい幼女声はそれだけでも疲れが取れるのだが、まこちゃんといると主人公も潤いを取りも出したかのように禅問答じみた浮世離れした会話を始めるのがよい。事務的な情報交換としてのコミュニケーション、誤解のない明晰な言葉のやりとりが必要とされるのは、職場だけで十分である。まこちゃんと話すのは何かの用事についてではなく、もっと大切なことだ。用事についても話すのだけど、削ぎ落とされたドライな情報ではなく、声音や間合いや省略に表れる互いへの気持ちを交換する。常に言葉の字面以上のことを伝えようとする。つまらない言い方をすれば、コミュニケーションについてのコミュニケーションというやつの領域だ。文学作品からの引用が多すぎて萎えると指摘する方もいるが、「存在の耐えられない軽さ」については作者の筆が滑ったような印象を受けたにしても、僕自身十分身に覚えがあることだし、個人的には許せないほどではなかった(というか引用に気づかなかった)。多少日常離れした言葉の流れだとしても、それが心地よいロリボイスと調和してひとつの音楽のように紡がれていくのを、いい笑顔をして聞いていたエロゲーおじさんである。


 そんな言葉などなくても最低限のことはでき、生存するだけなら問題はない。それは波乱万丈のストーリーが終わった後の生活、エピローグの日常である。実際にはやらなければならないことはたくさんあるし、背負わされる責任もあるのだけど、そうしたことは自動化されたものとして後景に退き、時間だけが流れていく。そんな平坦な生活だからこそ、言葉に血を通わせたい。会社での自分の言葉にすべてを賭け、いつまでも燃え続けるように仕事をするのもいいけど、会社は自分のものではないのだから(自営業は別かもしれないが、それだって基本的にはお客さんあってのものだ)、やっぱりそれ以外のもの、自分が作り上げていくものがあったほうがいい。説教くさい脱線をしてしまったが、本作でははじめからエピローグ的の空気、彼岸めいた空気、日常の中で新しい日常に向かって足を踏み出していく雰囲気がすべてを浸している。日常というユートピア。あるいは、ユートピアにあってはすべてが日常のレベルに格下げ(あるいは格上げ)されてしまうのかもしれない。やさしいピアノのBGMもよい。家族計画の末莉シナリオの終盤や、向日葵の教会と長い夏休みの雛桜シナリオもそんな空気に満たされていたが、どれもロリっ娘ばかりなのは偶然だろうか。幸せで平坦な胸と幸せで平坦な日常は地続きなのか。


 睡眠の気持ちよさを描く作品である(続編音声作品の「安眠添い寝ロリータ」が出たが、これに手を出してさらにだめな大人になっていいのか迷うところだ)。家は仕事に行くための休息の場所と考えたら暗い気持ちになるが、たまにゆっくり休める日もあるのなら、仕事で疲れて帰ってきてまこちゃんの顔を見て、息遣いを聞いて、疲れがほぐされて消えていくような生活もありかなと思ってしまう。しかも二人でいるときは外に出ず、家の中でのんびりするのが好きな嫁である。きっと外に出たら出たで気持ちよい笑顔を見せてくれるのだろうけど。日常には終わりがなく、起承転結がない。突然ホワイトアウトして、穏やかなピアノが流れるタイトル画面に戻る。夢の中のように時間は飛び飛びに進み、彼女といるという安心感だけが一貫していて、すべてを包む。子供が生まれるとまた少し変わるのかもしれないけど、変わってしまう部分も変わらない部分も、終わりのない日常の中では同じように大切にしていけるのだと思う。幻想には一定した価値はないけど、これはよい幻想だということにしておきたい。