言葉の上滑り

 描かれていることよりも描かれなかったこと(わざと黙っていたことではなく)が気になるときというのは、何か別のものを欲して無いものねだりをしているときであって、読み手としてはだめなときなのだけど、一期一会なのでたまには覚え書きくらいは残しておこう。
 これまで何度か名前を見かけて気になっていた長野まゆみの本を探しにブックオフに行ってきた。『上海少年』と『鉱石倶楽部』を買ってきたけど、これがこの作家の中でどういう位置にある作品なのかはよく分からない。『上海少年』は僕の目には、映像美に優れていて印象的なシーンはあるけれど、それは視覚的な美しさであって精神的な美しさは衰弱していて、退廃的なように映った。長野まゆみ宮澤賢治を愛読しているとのことで、確かに言葉遣いにはこだわりを感じる。でも宮澤賢治が持っていたような苛烈さがなく、世界に対して生産者ではなく消費者としてしか関われないように見えた。少年の同性愛という美学の儚さ、無意味さにもつながり、それが悲劇ではなく居直っていることの後ろめたさを感じる。『鉱石倶楽部』で石をひたすらスイーツに喩えているのは(スイーツ以外に幻想の風景に喩えていた場合もあったけど、スイーツが特に目に付いた)、バブル時代の軽薄さを感じるし、後書き部分で作者がそんな自分の頭の悪さを揶揄してみても開き直りに見えてしまう(ファンの方が不快な思いをされたら申し訳ないが、あくまで僕の個人的な感想なので)。でも僕が、こんなふうに形ある意味、結果を出すものにしか意義を認めないのは粗野で下品な根性なのかもしれない。僕自身デカダンスは好きなはずだけど、たぶんただのスノッブなので小市民の地が出てしまうのかもしれない。革命の理想に人生を捧げたデカブリストの話を読んだ後では、ことさらそうなのかもしれない。とはいえ、『鉱石倶楽部』はいさぎよく視覚的な美の表現に自らを限定していたので、まだ性質がよかったかもしれない。鉱物の美しさは単なる化学現象であって、精神的な美しさは人間が外部から読み込むものだ。だからたとえその外部の美を共有できなかったとしても、そこに美を求めようとする姿勢には共感できるという最低限の保険がある。
 あと、以前人に勧められていたウディ・アレンの『アニー・ホール』のDVDも見つけたので買ってきた。見てみたら、20歳くらいの頃に一度レンタルショップで借りてきたけど、初めの部分を見て寝落ちしてそのまま返却した映画だったことを思い出した。離婚どころか女性と付き合ったことすらなかった当時の自分には、まったく意味が分からないし不要な映画だったので、当時全部見なかったのは正解だった。今回は最後まで見た。コメディアンにもいろいろあるのだろうが、人の上に立って他人を笑い飛ばすインテリコメディアンは悲しい。人をおとしめて、自分もおとしめて、残るのは若かった自分たちに対する感傷だけである。ダウンタウンとかのお笑い文化も同じようなもので(ウディ・アレンダウンタウンと同じく楽屋裏物が得意らしい)、切れ味は鋭くても、俺もバカだけどお前もバカ、の世界では何も(生きては)残らないので好きになれない。それどころか、テレビで見ている者には感傷すらほとんど残らない。まあ、こんなふうにぐちぐちいうのは息苦しく凝り固まった人間なのだろう。言葉は裏切るから、賢い人は言葉をつぐむのだろうが、コメディアンは常にしゃべっていなければならず、言葉はインフレで重みを失い(ラブレーの笑いの増殖性とはまた違うが、アルビー自身、アニーに「多型倒錯的だね」と言ったけど自嘲的に響くしかなかった)、それを補うために更にしゃべる。それはユダヤ的な去勢感覚だなんて、ロシア系ユダヤ人のウディ・アレンは言われ慣れているのだろうな。そんな呪いのようなものであっても、騒々しくて疲れるばかりであっても、アニーの家族の健全なアメリカ的痴呆生活よりはずっと魅力的なのかもしれない。感傷が残るだけでも素晴らしいし、それは大切にしていいものだろう。でも本当の理想の生活は、その二択とは別の答えなのだろう。何だか笑えるけれど美しいものだ。アルビーはアニーの笑顔にそれを求めていたのかもしれない。アニーの方はどう思っていたのかは分からないが、アルビーが真剣に何かを求めて、一緒に夢を見ようとしていたことは伝わっていたのだろう。
 あと、ついでに新井素子の『もいちどあなたにあいたいな』も買ってきた。解説で大森望が絶賛していたので騙された気になって。正直なところ、そんなにたいしたお話じゃなかった。エロゲーでも十分ありそうな設定だ。大森氏の言うようにこれが新井素子の最高傑作のひとつなのだとしたら、実はあまりすごい作家じゃないのではという疑惑が。和の運命の孤独ばかりが強調されていて、それはそれで正しいことなのだろうけど、一番救われないのは陽湖(主人公の母)だと思う。まあ、それは野暮なつっこみだ。もいちどあなたにあいたいな、という言葉の響きはよく、さすが新井素子なのかもしれないが。
 ふと、久々にフォーチュン・クエストを読みたくなった。途中からパーティ内の恋愛話っぽい要素が強くなっていっていつしか読むのをやめてしまったが、中学の頃に読んだはじめの数冊、海洋冒険譚の「隠された海図」くらいまでは素晴らしく面白かった。たぶん、2005年に出た「キットンの決心」というやつまでは読んでいたと思う。あの世界に浸りたくなるというのは心が弱っている証拠だと思うのだが、まだ読んでいないのがたくさんあるというのはありがたいな。読むかは分からないけど。


上海少年 (集英社文庫)

上海少年 (集英社文庫)

鉱石倶楽部 (文春文庫)

鉱石倶楽部 (文春文庫)

もいちどあなたにあいたいな (新潮文庫)

もいちどあなたにあいたいな (新潮文庫)