犬村小六『とある飛行士への追憶』

とある飛空士への追憶 (ガガガ文庫)

とある飛空士への追憶 (ガガガ文庫)

 秋山瑞人朱門優の新刊を買おうと思って近所の本屋に行ったけど見つからず、どこかで紹介されていたのを以前見かけたこれを買ってみた。海と青空と雲と飛行機を舞台に少女と逃避飛行、という視覚的なイメージに全面的に寄りかかった作品で、文体的な面白みはまったくない。王道という名の良くも悪くもステレオタイプなモチーフで実直に綴られた物語は、それがステレオタイプであるがゆえに読み手のフックに引っかかりやすい、という演歌的音楽のような仕組み。僕の場合は、イリヤの空あたりから南海、夏空、逃避行のイメージが膨らみ、ラストエグザイルあたりからプロペラ飛行機時代の空中戦や控えめな飛行士の生き方にすっと入りやすかった。色や形を変える雲や空を感覚的にイメージし、このままファナと一緒にどこか遠くへ行ってしまえたらという誘惑にかられた。チープなエピローグがまったくの蛇足だったけど、本編はその南国の青と広大な空のイメージがずいぶんと気持ちよく、作者はツボを心得ていると思わされた。どこか使い古されたイメージを甦らせて爽やかでロマンティックな物語に仕立てるのが得意だったアレクサンドル・グリーンを思い出した。グリーンの小説は20年代ロシア文学にとってのラノベみたいなものだったのかも。それはともかく、差し出されたとおり、光・水・風・空のイメージをたっぷり楽しめたのでよかった。