智代アフターの音楽 〜また電波が〜

 サントラだと最後にタカフミズのBGMと歌のショートバージョンが入ってるけど、これはどこか真ん中らへんに順番を入れ替えてもいいかもしれない。
 最近は僕は無駄に感傷的過ぎるみたいだ。一曲一曲がこの上なく尊く思える。これは多分ONEでもKANONでもAirでもCLANNADなかったことだ。それともそのゲームたちでもこんな風に思える時がくるのだろうか。音質もCLANNAD並かそれ以上。
 それは、智代アフターの音楽は物語のシーン音楽・物語を紡ぐ叙景の音楽というよりは、登場人物たちの心を支える音楽・抒情の音楽が多いからではないか。われながらかなり胡散臭い説明だ。KANONCLANNADの音楽の感傷性が鼻につくとき(そんなにつかないが)、客観的な原因は、シンセサイザーとかオルゴールとかの楽器がメロディを過剰演出してしまっているということがあるんだと思う。それが聴き手の主観には、心を「表す」のではなく「描いて」しまっているように聞こえる。音楽が内容と形式に分かれてしまう。智代アフターの音楽の場合は、あまり分かれない。電子音っぽい音よりピアノとかギターが中心だからだろうか。あるいは、最果てのイマのすべてのテキストとすべての音楽にイマの影があるように、智代アフターのすべてのテキストとすべての音楽には智代の影があるからだろうか。それもあるかも知れないが、それよりはむしろこうかも。つまり、この歌と音楽を聴いていると智代を支えているのと同じ力、というか同じ「音楽」、に僕も触れることが出来るから。なんかトートロジーくさい言い回しなってしまったが、智代はまさに音楽に支えられている。それは自分で生み出しているものかもしれないけど、でも支えられている。智代が沈黙したとしたら、相当やばい。絶望的に暗い女の子になってしまうだろう。物語の主人公は岡崎朋也で、僕ではないけど、僕は智代のすごく近くにいる感じがする。朋也並かそれ以上。おかしいくらいだ。もしかしたら、人と人が本物の宗教的信仰で結ばれると、こんなぬくもりを得ることが出来るのかもしれない。僕は信仰を持てなかったけど(少なくともこれまでの人生では)、なぜか気がついたらエロゲーの世界で似たものに遭遇してしまった。
 脱線してしまったが、いい音楽、いい物語だ。そのまま聴くのもいいと思うけど、何かしながら聴くのもいい。僕みたいな弱い人間が日常を歩き続けるための力を与えてくれる。まあ、この音楽が日常になったら昇天してしまいそうなので、ほどほどにしとくのがいいのだろうけど。