宮台真司他『サブカルチャー神話解体』雑感。90年代の幽霊。

 本書の初版は1993年、扱われている時期は大体1960年代から90年代初め。90年代半ばくらいから思春期に入った僕にとっては内容は直接は関係ないし、今頃読むようなことでもないんだけど、それでも、文庫になって増補もされていると知って買い、時間を見つけてちょくちょく読み進めている。良質な啓蒙書で、コミュニケーションという社会学的な切り口からではあるけど、混沌としたマンガや音楽界のジャンル分類や、ジャンルの変質が体系的に記述されているように見える。見通しのきいた時代からきかなくなる時代への過渡期を知るからこそとることのできる包括的な視野。文化研究に携わるものにとっては、このように大きな課題を立て、共同チームを組んで、大量のデータを取って「実証的」な研究を行うことは、なかなかできないうらやましいことだが、20代のうちからこんなことをやっていたとはさすがは宮台先生。続編が出ないことが惜しまれる(ほんとに出せるならそれに越したことはないが)。
 本書で扱われている期間は一昔も二昔も前だけど、基本的なパターンはだいたい出つくしてしまっている感がある。僕の人格にあったコミュニケーションのパターンと親和的なジャンルは、新人類登場前夜の乙女ちっくとかその辺だろう。赤毛のアン的な感傷的な意匠で身辺を飾り、現実を遮蔽し、癒しを求めがちなタイプ。私を分かってくれるのはあの人だけ。物語や音楽は、人と盛り上がるためのツールではなく、自分が一人で耽るためのツール。同時に、こういう理論的な問題にも関心があるニヒリストタイプ。大体この二つの間を行ったり来たりしている。こういう人格にとっては、エロゲーは理想的とはいえないまでも、けっこう合ってるんじゃないかなあ(やる時間さえあれば)。オタク化以前に一時期聴いていたポップスが女性ボーカルばかりだったことも、歌詞が気に入らずポップスから離れてしまったことも納得。男性ボーカルで唯一わりと聴いていたのはミスチルだが、宮台氏はミスチルについてはどこかでなんか特別扱いしていたな。いまいちよく分からなかったが。そのミスチルも聴いていたのはアルバム『ボレロ』まで。先日とある事情でその後のアルバム『シフクノオト』を買って聴いてみたが、なつかしの90年代の空気がまだ引きずられていた感じがした。高くて平たい声と、重苦しく閉塞したちょっとしつこい歌詞と、骨太で時々感傷的な感じの伴奏の組み合わせ、に分解されるかもしれないミスチルの個性は、さらに爛熟気味だった。この欝波動を彼らはどこにぶつけているのだろうか。ちゃんと受け止められているのだろうか。機会があったらその次のアルバムも買ってみようかと思う。