西尾維新『ヒトクイマジカル』

ヒトクイマジカル 殺戮奇術の匂宮兄妹 (講談社ノベルス)

ヒトクイマジカル 殺戮奇術の匂宮兄妹 (講談社ノベルス)

 この作品やシリーズが世間でどういう風に読まれているのか調べる余裕があまりないのが残念。
 まあそれはいいとして、西尾維新はマゾだろうか。こんなに主人公に悩ませて、酷い目にあわせて、痛めつけて、・・・・・・挙句の果てに「成長」させて何事もなかったかのように漫才させて締めてしまうとは。昨日書いた僕の感想をあざ笑うかのように本作では主人公は叫び、行動するわけだけど、ヒロインたちの死については残酷なまでに「気持ちの整理」をつけられてしまっているように見える。『きみとぼくの壊れた世界』のハッピーエンドは見事に意地悪なものだったけど、本作の終わり方は見事というよりはややずるい。シリーズ物としてラストスパートを前にこんなところで足踏みしていられないという大人の事情。主人公に叫ばせ、吐き出させたということからくるその反動としての照れ・淡白さ。物語・運命・縁というメタ要素を持ってきてヒロインを「駒」に貶めてしまう残酷さ。こういうのをわざとかしらないけどおかしな順番で組み合わせて、困った締め方をしている。
 どこか自分が投影している人間が死ぬということは、自分の一部が死ぬということになるのだろうか。プロット上で殺され、さらに物語上の通過点に貶められるということで二重に殺されることになるだろうか。そんな風に思うのは、主人公が「いろんな人間の欠点を寄せ集めて」できたような壊れた人間で、そこに僕みたいな読者は共感しやすく、そしてそんな主人公が自己を投影したりしようとしたりしていた人間が死んでしまうからというのがまず一つ。後は、本作でしつこく生きることと死ぬこと、というよりは生きていることと死んでいることの意味が何度もしつこいくらい取り上げられるから。紫木一姫は本当に短い間だけ生きていて、その後なんだかよく分からない「物語上の都合」で殺されてしまったのか。「今まで人を殺しすぎたから」とか「元狂戦死だから殺し屋の匂いを放っておけない」とか、そんなの理由にならないです!というか理由にされては困る!この理由の無意味さが作品のメタ構造とあいまってとてもやるせない。円朽葉とか、SFなんていう別ジャンルを突っ込んでみて、これもなんだか自爆気味の自己パロディのような。悲しい話のはずなのに。そうなると狐男の立場がいよいよ悪役っぽくなってくるけど、正義と悪がはっきりしちゃう燃え展開になったら本シリーズの路線からは外れてしまうはず。メインはあくまでも主人公が生きているのか死んでいるのか分からなくて、むしろどちらかというと死んでいて、自分や周りを救おうとしてはいまいち上手くいかなくてもっと死んでいくような話だったと思うが。姫ちゃんに「おつかれさま」なんて言ってしまっていいのかな。本作の主人公は今までよりもちょっと饒舌だ。戯言になることをも恐れず。何か言わなくていけなかったのかもしれないし、「おつかれさま」はいい言葉のかもしれないけど、でもなんか座りが悪いよ。言い切れるだけ姫ちゃんは特別なんだ、と好意的に読んでいいものか。そうはならないのがこの世界の業の深さなんじゃないかな。ねちねちしつこい読者だな僕は。でもこの死の代償は高くつくはず。