桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』

少女七竈と七人の可愛そうな大人 (角川文庫)

少女七竈と七人の可愛そうな大人 (角川文庫)

 世の中いろいろ間違っていることはあるけど、一番たちの悪い間違いは年をとると消えてしまうような女の子の美しさだ。他の種類の女性の美しさはとりあえずおいておくとして、この美しさが罪深いのは生物学的に時間と共に消えてしまうこと以外に、それ自身が見ること/見られることという共犯関係の上に成り立っており、人を美しくない人と美しい人に分けてしまうということだ。ちなみにエロゲーはこの問題をクリアしようとしていろいろがんばっている。エロゲーのように変則的な手段を使うのでなければ、出来る対処はおのずと限られ、そういう美しさから目をそらして人情的な温もりやすれた大人の感覚を受け入れるか、あるいは、強迫的にトラウマを反復するかのように、そういう美しさをぎりぎりまで追い求めては失う物語を消費しつづけることをいつまでも止めないかのどちらかだ。どちらにしても根本的な解決ではないし、かといってエロゲーの道もやっぱりおかしいわけで、というかそんなことを気にしている僕のような独身の男が一番おかしいわけで、最近結婚されたらしい桜庭さんが今後もこんな作品を書けたらそれもおかしい気がする。
 この美しさを扱う物語の場合には、負けないと物語が終われないという決まり自体が問題。北国の田舎で無駄に咲いては散る花のように儚いものだったり、物語の最後で敗北することが決定されている美しさだからこそ切なく美しい。これが静止した永遠の美しさだったり、完全な勝利を収めた美しさだったりすると、そういう神々しい大仏のような美を受け入れるには僕のほうでまだ煩悩が多すぎるようだ。そういうわけで、いつものごとく、テーマは果敢ながら、ありもしない正答を求めてまた敗北した桜庭一樹だなあという感想。いつものごとく文章が軽くてするっと読めてしまうのはご愛嬌。自分が美の当事者や被害者になってしまうという点で、女性に場合は問題の深刻さが大きく、重いものを背負わされてがんじがらめにされる。男性は気楽な分、その美しさに辿り着くことは決してない。我ながら救いがたく陳腐な考えだが、そんな感想を吐かせるのも桜庭一樹の小説の中途半端なところなんじゃなかろうか(人のせいにするな)。北海道の田舎町の閉塞感と七竈の儚い美しさに乾杯してもダメだろうことは分かっているけど、だからってどうしろと…。「いまのわたしたちは永遠に消える。永遠に。」こんな強い呪いの言葉には引き込まれるしかないけど。